礼拝メッセージ
2025年3月
2025年3月30日

「人間関係の大切なルール」
聖書箇所:マタイ7章7-12節
「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法であり預言者です。」主イエスのこの言葉は「黄金律」ゴールデンルールと呼ばれています。
1、黄金律と言われる理由
①積極的な愛の行動を勧めているから
②道理にかなったわかりやすさ
③聖書全巻の要約・エッセンスだから(マタイ22:36~40、ローマ13:8~10 ガラテヤ5:13~14)
2、実行が難しいルール
誰でも、この黄金律を良いものと認めるのですが、本気で実行しようとすると、全くできない現実にぶつかります。他人の立場に自分を置けない「自分」を知るのです。
3,実行可能とする道
この戒めの導入に「ですから」とあります。この命令は、7~11節に述べてきたことを前提としています。天の父がその求めを聞いて下さり、聖霊を与えて下さり(ルカ11:13)黄金律を行う力を私たちに与えてくださるのです。
2025年3月23日
「求めなさい」
聖書箇所:マタイ7章7-11節
1、深い必要の自覚
主イエスの説教を聞く者は、自らの心の現状を知らされます。神の御民にふさわしくない罪とけがれに満ちている絶望的な状態を自覚するのです。無能、無力な自分が救われるためには、全能の神に求める以外にはないことを知るのです。
2、切なる求め
求め、捜し、門をたたく動作は、心、足、手を使い全身全霊をもって熱心に執拗に神に求め続けることを意味します。犬や豚のように、無関心な者ではなく、真剣に求め続ける者に与えると神は約束しておられます。(ルカ11:5~8)
3,天の父が与えてくださる
罪びとである私たちでさえ、自分の子どもには最善な良きものを与えます。キリスト者はイエス・キリストに在って天の父のこどもなのです。(ヨハネ1:12)信頼と愛をもって神なる父に聖霊を祈り求めましょう。(ルカ11:13)
2025年3月16日
「全能者の陰に」
聖書箇所:詩篇91篇
先週の90篇に続く、91篇を開きましょう。作者は90篇と同じくモーセです。
1,神に信頼する幸い・・・全能者の陰に宿る
毎週私たちは、使徒信条を唱え、「我は全能の神を信ず」と、告白しています。その全能者の陰に宿るとはどういうことでしょうか。影では無く、「陰」です。神様の御許、隠れたところ、そこに住むのです。十字架の陰に宿ると同じ意味で、イエス・キリストの十字架を通して父なる神のもとに近づく者となりました。そこに私たちの思いを向けて、そこの住民となるのです。
2、神の守りの約束
そのような人に対する約束が、後半に記されています。
・試練の時助けが与えられる
・祈りに答えてくださる
・栄誉・誉れが与えられる
・どんな時にも共にいてくださる
・神がその人のために計画されていたことがすべて成就する
2025年3月2日
「大切なことを見分ける」
聖書箇所:マタイ7章1-6節
1、盲目的な愛の警戒
人をさばくことが戒められた反動で、無批判な行き過ぎた態度が別の問題を惹き起こします。悪意とフェイクに満ちた世に在って、人を愛し、神を畏れて生きることを学ぶことが大切です。(ピリピ1:9,10)
2、犬や豚に相当する人とは
単に教会外の人を指しているのではありません。いったんキリストを受け入れた後、再び世の汚れに巻き込まれ征服された人々です。(Ⅱペテロ2:21,22)神の福音を軽蔑し、嘲り、教会を傷つける人達です。このような人達を警戒しなければなりません。神のことば(福音)をすべての人に宣べ伝えることは、神の命令ですが、考えなしに提供してはならない人たちがいるのです。
3,福音伝達における見極め
無差別に福音の種を蒔きさえすればよいのではありません。相手の魂の状態を良く見極めて行うべきです。祈って時を待ち、聖霊の導きを求めましょう。素直さと共に賢さをもって、神のことば(福音)を伝えるものとなりましょう。(マタイ10:16)
2025年2月
2025年2月23日
「人をさばくな」
聖書箇所:マタイ7章1-5節
1、「人をさばくな」とは
人を批判し、中傷する裁きの心は、私たちの心の奥底に潜む傲慢の罪です。さばく人は常に自分を義とし、さばかれる者よりも高いところに自分を置きます。人を赦し、さばく権威は、神の子イエス様だけに属します。(ヨハネ5:22)ですから、人をさばく者は、無意識のうちに自分自身を神の座にまで引き上げてしまっているのです。
2、「人をさばくな」―その理由
①自分が裁かれないため(1、2節)。
裁きは神にあります。他人をさばく同じ鋭さ、同じ基準で神はさばく者を裁かれます。(Ⅱコリント5:10)
②裁く能力も資格もないから(3,4節)
「ちり」は微小なおがくずで、「梁」は建築用の丸太あるいは横木、角材です。盲目の眼科医が最も敏感に感じやすい目を治療する行為があってはならいのです。
3,「人をさばくな」-まず自らを点検せよ
「まず自らの丸太を取り除けよ」という主イエスの悔い改めへの迫りに心を留めましょう。他人を裁く前に、自分のうちにある「丸太」-傲慢の罪を十字架につけ、聖霊による愛の心を持つ者となりましょう。(エペソ4:15、29)
2025年2月16日
「一日の苦労に集中せよ」
聖書箇所:マタイ6章25-34節
1、明日(将来)の心配はやめよ(34節)
主イエスは、明日への計画の備えを否定しているのではありません。取り越し苦労を否定しているのです。思い煩う心は、あらゆる種類、あらゆる方向の可能性を描き、想像で事実をでっちあげます。明日は、私たちにとって未知であり、神の属する領域なのです。その日その日なすべき義務、職務、使命に集中し、精一杯果たすなら、明日(将来)のことは、全面的に神に委ねて生きることが大切なのです。
2、注意すべきこと
①主イエスが「心配するな」と語りかけておられるのは、八福の恵みに生きるキリスト者に対してであり、主の救いに与り、その恵みに生きる者へのメッセージなのです。
②無計画、無配慮、無為、怠慢はむしろ罪です。「心配するな」とは、神に信頼しない取り越し苦労を言っています。
③正しく合理的で正統な考慮は当然払うべきです。貯金や保険が否定されているのではありません。
3,結び
先走りして、今日の分に明日の分を背負い込んではならないと、主イエスは命じておられます。今日、私たちを助けてくださる神は、明日も同じ神であり、私たちを助けてくださるのです。(へブル13:8)
2025年2月9日
「何よりもまず神を求めよ」
聖書箇所:マタイ6章25-34節
1、心配無用―天の父は知っておられる
キリストにおいて神に罪を赦され(エペソ4:32)キリストを受け入れ神の子どもとされる特権が与えられたキリスト者(ヨハネ1:12)は、天の父なる神との信頼と愛の関係にあります。神は私たちの必要や心配事をすべて知っておられます。(Ⅰペテロ5:7)
2、まず、神を求めよ
信仰生活には優先順位があります。神が第一なのです。神を求めるとは「神の国と神の義」を求めることです。すなわち神の支配に生涯を委ね、神との正しい関係―愛ときよきと信頼の関係―を何よりも大切にすることなのです。何よりもまず神を求める時、すべての必要はそれに加えて与えられます。天の父なる神がキリストに在って顧みてくださるのです。(ピリピ4:6,7)。
2025年2月2日
「空の鳥、野の花」
聖書箇所:マタイ6章25-34節
1、心配するな
世にあるキリスト者にとって、世を愛し、神を無視してしまうのと同じように危険なのは、この世の心配(思い煩い)に捕らわれて神に信頼しなくなることです、この世に生存する限り、衣食をはじめ様々な必要がありますが、もし、なかったらと想像し、神を忘れて悩むことはやめるべきことなのです。
2、空の鳥、野の花を見よ
空の鳥は、エサがなかったと思い悩むことなく空を飛び、小さな野の花は、生命力を得て綺麗に咲いています。すべて神が心に留め、養い育てているからです。神の子どもとなったキリスト者の必要を、創造者、創始者、維持者である天の父が顧みて下さらないはずはないのです。
3,神に信頼せよ
心配するな(思い煩うな)とは、怠け者になれという命令ではありません。父なる神に信頼し、全力で前向きに生きることです。余計な心配で活力を失うことなく、神の恵みと助けと備えを信じ、御旨の道を歩むことです。神に信頼して生きる幸いを知るお互いとなりましょう。(ローマ8:32)。
2025年1月
2025年1月26日
「神か富か」
聖書箇所:マタイ6章19-24節
1.この世の富のすさまじい拘束力
富が人格を持つ支配者のように示され、私たちに絶対服従を要求してくるというのです。「貪欲は偶像礼拝です」(コロサイ3:5)とあるように、神に敵対し、私たちを強力に拘束し、隷属しようとするのです。
2.世の富(宝)への愛情が正しい知性を暗くする
「金銭を愛することがあらゆる悪の根」(Ⅰテモテ6:10)とあるように、この世の富に拘束される人生は、神の与えてくださった知性を正しく用いることができず、誤った判断を下すことになります。
3.十字架こそ勝利の道
ガラテヤ書の三本の十字架(ガラテヤ2:20、5:24,6:14)に示された信仰に立ちましょう。
神か富かの選択は、いのちか死、光か暗き、主か世かを選ぶことで妥協点も中間点もないのです。
2025年1月19日
「天に宝を蓄えなさい」
聖書箇所:マタイ6章19-21節
1、自分のために地に蓄えるな
人生には、時には高額な出費があり、蓄財を否定しているのはありません。必要な富を蓄えることは大切です。しかし、物欲に捕らわれ、すべての関心が富の増加だけに向けられ「金銭を愛する」生き方が禁じられているのです。(Ⅰテモテ6:10)
2,自分のために天に蓄えよ
私たちの宝は、本来神のものです。私たちには所有権はありません。私たちの体も、時間も、家族も,財も、才能も、何もかも神から預けられたものです。その宝を正しく使うことが命じられています。主に在って、生活の必要に備え、日常生活を大いに楽しむことは、天に宝を蓄えることです。(Ⅰテモテ6:17~19)そして、永遠の友を得る宣教の働のため(ルカ16:9)、更に多くの愛の業のために地の宝をささげる時、宝を天に蓄えることになります。(マタイ25:34~40)
3,宝のある所に心が
虫も、さびもつかず、盗人もいない、天に富を蓄積することこそ、安全、確実で自分のために報われる道です。天に望みを置き、主イエスを宝として歩むお互いとなりましょう。
2025年1月12日
「真の断食」
聖書箇所:マタイ6章16-18節
主は、弟子たちに断食をそれほど奨めてはおられませんが(マタイ9:14~15)、軽視したのではありません。軽視していれば、このように断食に伴う危険性を指摘することもなかったでしょう。施しや祈りの場合もそうでしたが、断食も人の前で行わないようにと戒めておられます。自分がいかに敬虔で信仰深い者であるかを示すために断食してはならないといわれるのです。人を意識するとき、「神のために」なされるどのような行為もその意味を失ってしまします。
真の断食は、ひたすら父なる神に集中するための、間接的な働きです。他者が自分をどう見るか、どう評価するかという意識が全く入り込む余地がないのです。神の前にひたすら祈るための手段なのです。
私たちの人生には、重大な決断が必要な時、深刻な悩み苦しみに遭遇する時があります。そのような時、祈りと断食により、神の御介入を願うことは幸いなことです。(マルコ9:29)
2025年1月5日
「この山を我に与えよ」
聖書箇所:ヨシュア記14章1-15節
老聖徒カレブのこの要求のことばについて学びましょう。1,この山
45年前、カデシュ・バルネアで、イスラエル民族は不信仰となり、約束の地には入れないと大多数の人々が嘆く原因となった強力な城塞都市(ヘブロン)があった山です。この時、カレブは信仰をもって進撃することを主張しましたが、民の不信仰のゆえに叶いませんでした。しかし、主はこの山を彼に与えると約束されました。
2,我に
カレブ自身は、「主に従い通した」ものであることが証されています。(8,9,14)それは、自らの証言だけでなく、指導者モーセと聖霊によるものでした。
3、与えよ
カレブの要求は①神の約束への信頼、②継続的な服従から生まれる信仰③主が共におられるという信仰に基ずくものでした。主は彼の信仰のゆえに「この山」を与えてくださいました。
この山と呼ぶような問題、課題をお持ちでしょうか。今年、カレブのように信仰によって挑戦し、主からの祝福を得るお互いとならせていただきましょう。
2024年12月
2024年12月29日
「主に感謝と賛美を」
聖書箇所:詩篇103篇
詩篇103篇2節に、「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とありますが、主が良くしてくださったこととは何でしょう
①すべての罪を赦し(3節)
②すべての霊肉の病の癒し(3節)
③永遠のいのちの祝福(4節)
④恵みと憐みの祝福(4節)
⑤継続的な必要の備え(5節)
⑥霊的刷新の祝福(5節)
これら6項目が、キリストの十字架による救いの恵みによって与えられています。ただ信仰によって与えていただいた神の恵みです。私たちは主の聖なる御名を心から讃え、主の御業を心にとめ感謝しましょう。
2024年12月22日
「クリスマスの発見」
聖書箇所:マタイ2章1-12節
1、真理を熱心に求める(箴言8:17))
東の博士たちが、異常に輝く星を見て、どのようにしてそれが全世界の救い主の誕生として確信したのでしょうか。神はどの国の人であっても神を恐れ、真理を追求する者を受け入れてくださいます。(使徒10:35,36)
2,真理のために犠牲をいとわない(ピリピ3:7,8)
東の国から砂漠を越え、贈り物を携えユダヤの地にやってきた彼らの行動は、人生をかけた真剣なものであると言えます。
3,真理に従う決意を持つ
救い主イエス様にお会いし、礼拝をささげた彼らは、天よりの御告げに従い、ヘロデ王の怒りを恐れず、別の道から帰っていきました。新しい人生を歩み始めるのです。
彼らを真理に導いた星は、私たちにとって「聖書のみことば」です。(Ⅱペテロ1:19)主はみ言葉によって新しい人生に導かれるのです。(詩119:105)。
2024年12月15日
「クリスマスのしるし」
聖書箇所:ルカ2章1-20節
クリスマスの夜、羊飼いたちに現れた天の使いは「布にくるまって飼い葉おけに寝ているみどりご」がクリスマスのしるしだと宣言しました。
1、神の謙遜のしるし(Ⅱコリント8:9)
この世の人々は、神を無視し利己的な思いために、キリストを家畜小屋の飼い葉桶に追いやりました。このことは私たちのために貧しくなられたキリスト、自らを低くして生まれ、死にまで従われたキリストを示すものでした。
2,神の愛のしるし(ヨハネ3:16)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに私たちを愛してくださいました。私たちの抱えきれぬほどの大きな罪を背負うためにキリストは生まれたのです。時満ちて、ついに人となって主は来られたのです。
3,神の招きのしるし(マタイ11:28)
神は、求めさえすれば、キリストを識別し見出すことができるように、このしるしを備えられました。(使徒17:27)このイエス・キリストはすべての人の主です。(使徒10:36)
2024年12月8日
「クリスマスの告知」
聖書箇所:ルカ1章26-38節
1、理解を越えた告知
天使ガブリエルがマリヤに告げたメシヤ誕生の知らせは、衝撃的なものです。久しくユダヤ人が待ち望んでいたメシヤが、マリヤを母として世に来られるという理解を越えた告知でした。神が人となり、人類の歴史の中に介入され、救済計画を実現されるのです。
2,選びによる告知
マリヤは、突然で一方的な告知に戸惑いました。ナザレ村の卑しい一少女に、神はなぜ目を留められたのか(1:48)理解できませんでした。しかし、彼女こそ、神の御心にかなった器として選ばれ(Ⅰサムエル16:7)、ついに時が満ちて(ガラテヤ4:4,5)この告知に至ったのです。
3,決断を促す告知
神の人類救済計画は、人を器として用いられて進みますが、本人の同意なしに事は進まないのです。「どうぞ、あなたのおことば通り、この身になりますように」(38節)というマリヤの信仰による決断があってクリスマスが訪れるようになったのです。神の救いの恵みと祝福は、私たちの信仰による決断と服従にあることを心に留めましょう。
2024年12月1日
「悪からお救いください」
聖書箇所:マタイ6章9-13節
1、試みにあわせないでください
キリスト者は、トラブルもない、平穏無事な生活を約束されていません。(ヨハネ16:33)栄光にあずかる準備として、多くの訓練が必要なことを神はご存じです。しかしサタンはその訓練としての試練に乗じ、不信仰になるよう誘惑を仕掛け、罪を犯すように働きかけてきます。私たちは弱く貧しい者ですから、「やすやすと誘惑に会い、誘惑に負けてしまいやすい状態に私たちを引いていかないでください」という意味で祈ることが大切です。神の真実と約束に信頼することが求められています。(Ⅰコリント10:13)
2,悪からお救いください。
私たちは救われた時、悪魔の支配から神の支配へと移されました。(使徒26:18、コロサイ1:13)しかし、サタンはその支配を取り戻そうと、強力な力で、私たちを不信仰や不従順で実を結ばないキリスト者にしようと策略をめぐらしてきます。(エペソ6:11)ですから「お救いください」と祈ることが大切なのです。誘惑との戦いは単なる防御ではなく、神に対する積極的な信頼と服従をもって祈ることなのです。(Ⅰペテロ5:9)