礼拝メッセージ

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2024年6月

2024年6月16日

 

「心のきよい者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

八福の前半の四つは、神と信仰者の個人的関係、後半の四つは祝福を受けた信仰者が隣人(他者)に現す関係を示し、後半の二つ目に属するこの祝福は「隣人への全き愛」(マタイ22:36~40)を示しています。
1,心のきよい者とは
 二分されない単一の心を意味し(詩篇24:3,4ヤコブ4:8)その心と思いがすべて神に向けられている人です。内心の罪、汚れはきよめられ、聖霊が臨み、愛に満たされることで、この時私たちは真の隣人愛に生きる者となります。主の十字架の贖いの血がこのことを可能とします。(ヨハネ1:7)
2,神を見るとは
 主がお語りになった新しい愛の戒め(ヨハネ13:34)を守る時、主に愛され、主ご自身はその人に現れてくださいます。(ヨハネ14:21)神を見るとは、肉眼で見ることでなく、日常生活の中で神の御業を見ることです。そして天に帰る日には、顔と顔を合わせて見る幸いが約束されています。(Ⅰコリント13:12)

2024年6月9日

 

「あわれみ深い者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

 
1,聖書が語るあわれみ
単なる感傷や情緒ではなく、行動が伴った同情で、主がお語りになった「良きサマリヤ人のたとえ」(ルカ10:30~37)に示されています。神は「ご自分のあわれみによって…‥救ってくださいました」(テトス3:5)とあるように、私たちにそのあわれみをキリストによって示されました。(エペソ2:4,5)
2,あわれみ深い者
 生まれながらの私たちは、聖書が語るあわれみを持っていません。神のあわれみによって救われ、自分の罪が赦される喜びを体験した人の心に宿るのです。
3,あわれみを受ける
 あわれんだから、憐れまれるという交換条件ではありません。神のあわれみと恵み深さを深く体験することです。(詩116:5)あわれみ深い者は、神の憐みをすでに受けているし、これからもさらに受けることになります。

2024年6月2日

 

「義に飢え渇く者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,義とは
道徳的正しさや、社会的正義を超えるもので、「神との正しい関係」で、罪の赦しと罪からの解放を意味します。罪は私たちを神から引き離し、正しい関係を破壊するからです。
2,義に飢え渇くとは
神との関係は、聖なる神と調和した性質が不可欠です。清い心を渇望し、神とのわだかまりを解消し、信頼と愛の関係を切望することです。このことを飢え渇くように求める人が幸いです。(ぺニエルにおけるヤコブ参照)
3,満ち足りるという福音
飢え渇きこそ、祝福への始まりです。また、祝福を得る最大の秘訣です。切実にこの義を求める者は、必ず与えられるのです。


2024年5月

2024年5月26日

 

「柔和な者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,文脈の中で、柔和の理解
「柔和」は、心の貧しい者、悲しむ者の次に置かれています。神の前の謙遜は、罪の悔い改めの悲しみをもたらし、神からの慰めを得た後に、「柔和」が語られており、それは
・神の恵みへの信頼
・神の権威を認め御心に従う
・神の恵みによって生きる、・・・性質・態度といえます。
2,柔和な人の模範
 旧約ではモーセ(民数記12:3)新約では主イエス(マタイ11:29)です。柔和な人とは、柔弱な者でなく、静かで動じない強さを持った人です。
3,柔和の源泉と祝福
 この資質は、生まれながらの性質ではなく、救いに与った人に注がれる聖霊による実(御霊の実ガラテヤ5:22,23)です。私たちは神の愛を受け、柔和となる時、キリストと共に、共同相続人として地を受け継ぐのです。(ローマ8:17)

2024年5月19日

 

「ペンテコステでの変化」

聖書箇所:使徒2章37-42節,エレミヤ31章31-34節

ペンテコステの日に起こった驚くべき変化に心を留めましょう。
1,この日に何が起こったのか
主の弟子たちは、聖霊に満たされ神を褒めたたえ、力強くキリストを宣べ伝える証人となりました。(使徒1:8)
その日、多くの人々が罪を悔い改め三千人がバプテスマを受け、主の弟子となり、初代教会が誕生しました。
2,古い契約から新しい契約への変化
旧約時代から新約時代への転換点となりました。シナイ契約による律法の時代から、キリストによる恵みの時代(聖霊時代)への変化です。聖霊が信じる者の心に住まわれ、神の律法を心の中に書き記してくださり、私たちは、神と共に生きる者となるのです。(エレミヤ31:33、34)それは、モーセ律法によってではなく、キリストの新しい戒めに生きることです。(ヨハネ13:34)
3,恵みの時代に生きる私たち
「神の恵みを無駄に受けないようにしてください」(Ⅱコリント6:1,2)今日もし御声を聞くならあなたがたの心を頑なにしてはならない」(詩95:7,8)聖霊が豊かに注がれる時代に生きる私たちに求められていることは、信仰(ルカ11:13)と服従(使徒5:32)であることを覚えましょう。

2024年5月12日

 

「悲しむ者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

主イエスがお語りになった「悲しみ」とは、この世の一般的な悲しみー死別、災難、病気、人間関係上のトラブルなど指すのでなく、神の御前における悲しみです。
1,心の貧しい人が経験する(ローマ7:24)
プライドを捨て、神の臨在の前に出る時、罪人である自己を認識し、悲しむようになります。
2,神のみこころに添った悲しみ(Ⅱコリント7:10)
これは絶望と死に追いやる後悔でなく、私たちを神に対する悔い改めに導く悲しみです。
3,本物の信仰に導く悲しみ(詩6:8,9)
神の前に砕かれて、罪を言い表す時、神はその罪の赦しとすべての不義からのきよめをなしてくださいます。
4、悲しむ者への神の慰め(イザヤ61:3)
自分の罪を悲しむ者は、真の悔い改めに導かれ、真の慰めが神から与えられるのです。(コロサイ1:13,14)

2024年5月5日

 

「心の貧しい者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,心の貧しい者
それは「神の前での謙遜」を意味しています。物質的な貧しさ、心の狭さ、卑しさを意味していません。
・神の臨在の前で何者でもない自分を知る(詩篇8:4)
・神の恵みなしでは、罪の塊に過ぎない自己を認識
(ローマ7:24、イザヤ6:5、ルカ5:8)
・自分の義に信頼せず、ただ神にのみ信頼を置く    
(Ⅱコリント1:8参照)
・高慢とは正反対の性質を持った人(ヤコブ4:6)
2,天の御国はその人たちのもの
天の御国(天国)とは、神の全き支配を意味します。
暗やみの力から救い出され(コロサイ1:13)義と平和と喜びが心に満ち(ローマ14:17)、永遠のいのちが賜物として与えられ、天国の希望に生きるのです。(ローマ6:23) 


2024年4月

2024年4月28日

 

「本当に幸せな人とは」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

主イエスが、山上の説教の冒頭で「~幸いです」と語られ、通常「八福」といわれる幸福を示されました。人となられた神、私たちの創造者である御方の「幸福論」です。
1,本当の幸せは神との関係にあること
聖書は、人が罪を犯し神と断絶したところに不幸が始まったことを示し、その救済の物語であると言えます。人が神と関係を再修復するところに本当の幸せがあるのです。
2,本当の幸せは「八福」に示されている
①天の御国が与えられる②慰められる③地を受け継ぐ④満ち足りる⑤あわれみを受ける⑥神を見る⑦神の子どもと呼ばれる⑧天における大いなる報いが与えられる
3,本当の幸せは、神に祝福されること
「八福」に描写されている幸いは、イエス・キリストによって与えられる神の祝福です。(エペソ1:3)悔い改めて福音を信じる(マルコ1:15)人に与えられる神の救いなのです。あなたは、本当に幸せな人となるよう召されているのです。

2024年4月21日

 

「その群衆を見て、イエスは山に」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,山上の説教の背景
ローマ帝国の圧政、重税に苦しみ、「メシア」を待望するユダヤの民衆が背景にあります。霊的生命を失い厳格な形式宗教となったユダヤ教は、人々の魂の自由を奪い、重荷となり、悩みの解決を与えません。主イエスの登場は、人々の必要に答える大きな期待と希望となりました。そのため人々は続々と主の御許に集まってきました。その様子を見て、主イエスは山に登り語られたのです。
2,山上の説教はだれに語られたか
あくまでも弟子たちに直接語られたものです。救いに与り、恵みを受けなければ、実行不可能な内容です。私たちは、救いに与った後、いかにあるべきか、またいかに生きるべきかを知り、主の恵みにより頼む者となります。しかし、同時に弟子たちの周囲に座る群衆のことも心にかけ、救いに与ることを願いつつ、語られました。
3,山上の説教の権威
主イエスの御口から出る言葉は、命があり,無から有を呼び起こし、暗黒には光を、汚れにはきよめを与える力なのです。(マタイ8章参照)この説教は、私たちに本当の宗教の本質を示すのです。

2024年4月14日

 

「主イエスよ、来てください」

聖書箇所:ヨハネ黙示録22章6-21節

1,キリスト再臨と黙示録
主の再臨の約束は、聖書のみ言葉に基づいて示されています。特にこの預言の書(黙示録)には、サタンの完全な敗北と滅亡が記されているため、サタンは人々が読まないように、そして信じないように必死に働いています。この霊の戦いに打ち勝ちこの書を堅く守る者に、神は祝福を約束されています。(1:3)私たちはこの預言の書を封じることなく、よく読み、すべての人に宣べ伝えることが大切です。そして、付け加えたり取り除いたりしてこの書を改ざんしてはならないのです。(18,19)
2,キリストの再臨と審判
 再臨は信者と不信者を二分します。天の御国(新天新地と新しいエルサレム)に入国できるか否かが決まるのです。
3,キリストの再臨と私たちの対応(17,20)
 聖霊と教会は「来てください」といいますが、私たちも共に「来てください」と心から主のおいでを待ち望むことが求められています。同時に救いに与る方が一人でも多く起こされるよう祈り求め、宣教に励むことが大切です(17)この二つの面を同時に持ちつつ、「マラナ・タ」(Ⅰコリント16:22)と祈りつつ告白するお互いとなりましょう。
「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン主イエスよ、来てください。(20)

2024年4月7日

 

「新しいエルサレムの中には」

聖書箇所:ヨハネ黙示録22章1-5節

1,新しいエルサレムの内側の景色(Ⅰ~2節)
水晶のように輝く命の水の川、純金の都の大通り、川の両岸に林立し12の実をならせるいのちの木、それは驚きと喜び、満足と平安の世界です。
2,七つの完全な世界(3~5節)
①完全な回復…呪われるものは何もない(3節)
②完全な統治…神と子羊の御座が都の中に(3節)
③完全な奉仕(礼拝)…神の僕たちは神に仕え(3節)
④完全な栄化…御顔を仰ぎ見る(4節)
⑤完全な所属…額には神の御名が…(4節)
⑥完全な臨在…神である主が彼らを照らされる(5節)
⑦完全な高揚…世々限りなく王として治める(5節)
私たちは、主イエス様によって、永遠のいのちが与えられて、このような世界に導かれているのです。
「感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神の喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。」(へブル12章28節)


2024年3月

2024年3月31日

 

「主イエスは生きておられる」

聖書箇所:ルカ24章13-35節

1,主ご自身が近づき共に歩く
二人の弟子たちに寄り添うように歩き、その議論を聞き、悩みを受けとめる主イエスを私たちは見ます。復活の主は私たちが気づかなくても、ともにおられ、歩み、理解してくださるお方です。
2,主ご自身が聖書を解き明かしてくださる
主イエスは、常に聖書のみ言葉に基づいて、弟子たちに語られます。今も聖霊によって主は聖書のみことばを教えてくださいます。(ヨハネ14:26)その時、私たちの心は確信と喜びに満ち、燃えるのです。(32節)
3,主ご自身が信仰者の霊の目を開いて下さる
二人の弟子は、パンを裂く主イエスを見た時、目が開かれ、主イエスがわかりました。「私を覚えてこれを行いなさい」(Ⅰコリント11:24)と主が命じられた聖餐式は、主を知る幸いな時です。復活の主を十字架の死を通して知るのです。
主イエスは、今も変わりなく生きておられ、聖書のみことばを通して語り、十字架の愛によって生かしてくださるのです。

2024年3月24日

 

「今日、パラダイスに」

聖書箇所:ルカ23章32-42節

1,背景…主イエスが十字架につけられた時、二人の犯罪
人が十字架につけられました。彼らは強盗殺人や暴動の罪で死刑判決を受けた罪人で、共に十字架につけられた主イエスを嘲り、罵り、からかいます。(マタイ27:44)
2,転機…犯罪人の一人が突然、口汚くののしる同僚の犯
罪人をたしなめ、主イエスに信仰を告白します。罵られても罵りかえさない清い姿、唯一口を開かれた敵の赦しを願う祈りが彼の良心を目覚めさせたのです。(Ⅰペテロ2:23)
3,約束…彼の改心の直後、驚くべき主イエスの約束を彼
は聞きます。「今日、あなたはわたしとともにパラダイスにいます」(43節)罪赦され、神の恵みの世界、パラダイスへの入場を許されたのです。ここにキリストの救いのすばらしさ、神の愛の豊かさがあるのです。

2024年3月17日

 

「新しいエルサレムの特徴」

聖書箇所:ヨハネ黙示録21章9-24節

ヨハネが見た聖なる都、新しいエルサレム
1,神の栄光に満ちた都(11)
2,巨大な形状の都(12~17)
3,イスラエルの12部族と、キリストの12使徒の名が付けられている(12~14)(エペソ2:20)
4,最高の美と輝きの都(18~21)
5,都にないもの(22~23)
6, 都の国民(24~26)(へブル11:16)
7, 都の入場資格(27) 
子羊のいのちの書に記されている者たちだけです。
「目が見たことのないもの、耳がきいたことのないもの、人の心が思い浮かんだことのないものを、神は神を愛する者たちに備えてくださった。」(Ⅰコリント2:9)

2024年3月10日

 

「新しい天と新しい地」

聖書箇所:ヨハネ黙示録21章1-8節

 ヨハネは、最後に素晴らしい光景を見せられます。それは、新しい天、新しい地、新しいエルサレムです。(1,2節)新天新地は、旧天旧地をリニューアルしたものではなく、その延長線上にあるものでもなく、全く新しい秩序とともに創造されたのです。以前の地球も宇宙も跡形もなくなり(20:11)第三の天より、新しいエルサレムが降ってきて新天新地と合体します。この都こそアブラハムが憧れていた天の故郷(へブル11:16)であり、へブル書が語る「揺り動かされない御国」なのです。(へブル12:28)
 
   ヨハネは、さらに二つの声を聞きます。第一の声は、天の御使いの大きな声で、この究極的な天国がいかに素晴らしい祝福の世界であるかを語ります。(3,4節)第二の声は私たち主イエス・キリストの声であり、この新創造の祝福を宣言します。(5,6節)そして主は、二者択一の現実、新天新地か火の池のいずれかを人類は選ばなければならないことを示されるのです。(7,8節)(ヨハネ3:16,17)(Ⅱコリント6:1,2)
 
  主は、このヨハネ黙示録のすべての読者に、救いの道を選ぶよう愛をもって訴えておられるです。(Ⅰテモテ2:4)

2024年3月3日

 

「白い御座の裁き」

聖書箇所:ヨハネ黙示録20章7-15節

 神と人類の敵サタンが、永遠の滅びである火の池に投げ込まれた後に、ヨハネは見ます。
1,「大きな白い御座とそこについておられる方」
 最後の審判といわれる神の最高裁の有様が描写されています。中央には裁判官であるイエス・キリストが着座しておられます。天地は消え去り、新天新地の準備段階となっています。(ヨハネ5:27)
2,「御座の前に立つ死んだ人々」
第一の復活に与かった人々以外の全人類の死者(5節)が、魂と肉体が合体し復活し、御座の前に被告人として立つのです。(ヨハネ5:28~29)
3,厳正な審判
 主はすべてのことを知っておられる全知の方ですが、様々な記録文書、およびいのちの書を厳正に確認し、最終判決を下されます。死者はそれぞれ自分の行いに応じて刑の執行を受けます。
4,ヨハネの福音書3章16節
この厳粛な審判の日には、被告人に弁護士がいません。(Ⅰヨハネ2:1参照)死んだ後には救いがないのです。生きている時こそ救いのチャンスがあります。(ルカ16:19~31参照)神は私たちを愛してくださり、滅びないで永遠のいのちを持つ者となるためにひとり子イエス様のいのちを与えてくださったのです。(Ⅱコリント6:2)


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