礼拝メッセージ
2025年9月
2025年9月14日

「ユダヤ人とアブラハム物語」
聖書箇所:使徒7章1-8節
1、ユダヤ人の先祖アブラハム
神は、創造主であるご自身の声を聞く心を持ち従っていたアブラハムを特別に選ばれました。(Ⅱ歴代誌16:9)神は彼を通して、全人類に真の神の愛を示し、救い主による祝福を注ぐご計画をお持ちになっておられました。(創世記12:1~3)神はアブラハムを祝福し、その子孫を祝福する契約のしるしとして割礼を命じられました。
2,ステパノの糾弾
「あなたがたは、先祖アブラハムを誇りとするが、本当にアブラハムの信仰と服従をもって主なる神に仕えているか(ヨハネ8:39,6:28,29)外見上の体の割礼が割礼ではない(ローマ2:28)神が遣わされた者(主イエス)を信じて、アブラハムの業を行っているか」と暗に糾弾します。
3,私たちへの適用
私たちキリスト者もまた、主イエスに選ばれた者です。(ヨハネ15:16)豊かな実を結ぶため、神の祝福の管となるために選ばれた存在なのです。バプテスマを受け主に結ばれた私たちは、聖餐式に与るごとに、その祝福の契約を再確認します。これらの営みが形式的なものとならないように警戒しましょう。私たちの恵みの原点の主イエスの十字架と復活の福音を心に留め、感謝と賛美をもって主に仕えるお互いとなりましょう。
2025年9月7日
「迫害下で輝くステパノ」
聖書箇所:使徒6章8-15節
1,選ばれた人ステパノ(5節)
ステパノは、七人の執事の筆頭として選ばれた人物です。御霊に満たされ、知恵に満ちた評判の良い人として、まず思い浮かぶ人で、頼りになりリーダ―シップを委ねる最適の器と認められました。くじによってではなく信者の内におられる聖霊の導きによる選出でした。
2,奉仕するステパノ(8-10節)
ステパノは、恵みと力に満ち、12使徒たちのようにしるしと不思議を行う人物であり、知恵と御霊に満ちて力強くキリストの福音を語りました。反対者たちとの議論でも、聖書の理解で勝り、主イエスのようにことごとく対抗者たちに勝利します。
3,最高法院に立つステパノ(11-15節)
ステパノは、ユダヤ人の陰謀により、宗教裁判の場に立たされました。彼を囲む敵意に満ちた人たちが彼に目を注ぐと、彼の顔がみ使いの顔のように見えたのです.裁く者たちは、ステパノのうちに、神の権威を認めました。迫害のただ中で彼の人格は輝いていたのです。(ローマ8:37)
主の恵みは、ステパノに注がれたように、私たちにも注がれています。ステパノを用いられた主は、私たちの主です。聖霊の満たしによって、このような輝きを与えてくださる主を崇めましょう。
2025年8月
2025年8月31日
「専ら祈りとみことばに」
聖書箇所:使徒6章1-7節
弟子たちの人数が増加したために、12使徒だけでは手に負えない問題が起こって気ました。やもめたちへの助けは大切な働きですが(ヤコブ1:27)、そのために忙殺され第一使命に支障をきたし、12使徒は全信徒に宣言します。「私たちが神のことばを後回しにして‥‥よくありません。私たちは祈りとみことばの奉仕に専念します。」(2~4節)
1、教会の使命の優先順位を明確にする
祈りとみことばの奉仕とは、神に対して祈ること(サムエル12:23)を重んじ、主の宣教命令に従うこと(マタイ28:19,20)です。このことを本気で実行するためには、時間がかかり集中力を必要とします。だからこそ最も大切なこととして取り組む必要があります。
2,愛と配慮を大切にする
使徒たちは、ふさわしい資格を持つ信徒たちを選び、知恵をもって事に当たりました。このことが、教会内に組織化を進ませ、より効率的に奉仕できるよう信徒を導くことになりました。そして神がその営みを祝してくださったのです。(7節)
3,私たちにとって「祈りとみ言葉」の位置はどこに
様々な問題に直面した時、祈りとみことばを第一に置き、上よりの知恵により問題を対処した使徒たちに心を留めましょう。形よりその心を学びましょう。
2025年8月24日
「人に従うより神に」
聖書箇所:使徒5章17-32節
1,人に従うことを否定するものではない
聖書は、キリスト者が地の塩、世の光であると語っています。(マタイ5:13,14)キリスト者は遵法精神に富み、上に立つ権威に従い、税金を納める良い市民であることが求められています。(ローマ13:1∼7)善と誠意と真実をもって社会生活を営む者です。(Ⅰペテロ2:15)
2,神に従うことが第一の優先順位
しかし、善良な市民であるキリスト者は、同時に神を第一とする優先順位で生きる者です。公権力が神のみこころに反するように対立してきた時は、なおのこと拒否する行動を明確にします。「人に従うより、神に従うべきです」と宣言し行動します。ここにキリスト者が迫害される理由があります。
3,迫害下の助けと恵み
真のキリスト者は、この世において迫害を避けることはできません。(使徒14:22,Ⅱテモテ3:12)しかし、その中において神の保護と助けに与ります。(Ⅰコリント10:13)それは、神の子どもとされた証しですから、喜び感謝することでもあります。(マタイ5:10∼12)
「私たちの一時の軽い苦難は、それと比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」
(Ⅱコリント4:17)
2025年8月17日
「人の偽善と神の審判」
聖書箇所:使徒5章1-16節
1,偽善の罪と審判神の恵みと祝福によって急拡大する初代教会でしたが、アナニヤ・サッピラ夫妻の偽善のために、神の厳粛な審判が下されました。主イエス様は、学者、パリサイ人の偽善を怒り、憎まれましたが、この時、聖霊を欺く罪として、彼らは死に至りました。「厳しすぎる」と同情と共に、この審判の恐ろしさを覚える方もいるでしょう。新約時代も旧約時代と変わりない神の正義をここに見ます。
2,この審判をどのように見るか第一に、神を畏れる心を学ぶことが求められます。神は聖なる真実なお方で偽りを憎まれます。神の恵みによって救われた者は、すべてを知っておられる神の前に生きる者です。日々主の十字架の血に信頼し、嘘、偽りから守られ、赦されて歩む者なのです。(エペソ4:25)第二に、アナニヤ・サッピラの裁きは、彼らが永遠の審判を受けたものではないことも理解しましょう。(Ⅰコリント5:3-5、Ⅰペテロ4:6)第三に、審判の結果に心を留めましょう。(12-16節)神の働きは前進し、人々は真実に神を求め、キリスト者を尊敬し、主を信じる男女が増加しました。私たちは、神を畏れ、主イエスを仰ぎ、真実に忠実に主に仕える者となりましょう。(Ⅱコリント7:1)
2025年8月10日
「人の偽善と神の審判」
聖書箇所:使徒4章13-31節
使徒たちの大胆な宣教の秘訣はどこにあるのでしょう。
1,聖霊に教えられて
使徒たちは、主のことば(神のことば)を聖霊に教えられ、理解し(ヨハネ14:26、16:13)、深く確信して語りました。聖書の深く正しい理解が前提となった大胆さです。
2,復活の事実と聖名の力の体験
聖霊によって、目が開かれ、復活のキリストの事実を知り、キリストの聖名の力を体験(ヨハネ20章、使徒2章3章)したことによって、使徒たちは、自分たちが、見たこと聞いたことを話さずにはいられなくなりました。(20節)
3,祈り
弟子たちの大胆さは、人間的なものではなく、神に祈り求めた結果として天より与えられた確信によるものです。
聖霊に満たされ、力を受け、キリストの証人として大胆に神のことばを語りました。秘訣は、聖霊であり、不信と反感、反対と迫害に打ち勝つ神の力なのです。(使徒1:8)
2025年8月3日
「この方以外には、救いはない」
聖書箇所:使徒4章1-22節
1,真理の排他性
聖書は、神はお一人であり、他にはいないことを告げています。(イザヤ45:22、Ⅰテモテ2:5)絶対的な真理(神)が認められるとき、他の救いの教えや道は否定されることになります。現代人は、このように排他的で不寛容な主張を受け入れることができず、多様性を認め合うことが良いとし、絶対的な真理そのものを否定しがちです。
2,救いとは
聖書が示す「救い」とは何でしょうか。ペテロが語った救いとは神と人とを隔てる罪からの救いを意味しています。(マタイ1:21、ヨブ22:21)人が不幸である根本原因は、アダム以来、人類に根づく「罪」であり(ローマ3:10-12)その罪からの救いは、神ご自身が備えられたキリストの十字架による方法が唯一の道なのです。イエス・キリストのみが救いに至る道なのです。(ヨハネ14:6)
2、私たちの応答
①悔い改めと主イエスへの信仰
②賛美と感謝、献身と服従(礼拝とみ言葉に聴くこと)
③宣教(隣人愛の実践―福音を伝え、自身が経験したこと神の恵みを一人でも多くの方に体験していただくこと)
2025年7月
2025年7月27日
「神に立ち返る」
聖書箇所:使徒3章11-26節
今週のメッセージ‥‥‥‥…………………………‥‥‥
「神に立ち返る」使徒3章11~26節
ペテロの第2の説教は、同胞が「神に立ち返る」ことを目的としたものでした。
1、ペテロは、美しの門でのこの奇跡は「ナザレのイエス・キリストの名」によること、十字架につけられ殺されたナザレのイエスはよみがえられ、神から遣わされた救い主(メシヤ)であると、そしてこのお方を拒み殺した責任を問い、「十字架と復活の福音」を語ります。
2、ペテロは、「悔い改めて神に立ち返りなさい」と強く勧め、主は悪から立ち返らせて祝福に与らせてくださるお方であると強調します。
(結)私たちが、神の祝福に与る道は、今も変わりません。罪を悔い改めて、神に立ち返るために、主イエスに頼り、十字架と復活の福音を信じることです。(Ⅰコリント15:3-5)
2025年7月20日
「クリスチャンにあるもの」
聖書箇所:使徒3章1-11節
今週のメッセージ‥‥‥‥…………………………‥‥‥
「クリスチャンにあるもの」 使徒3章1~11節
ペンテコステの日に誕生したキリスト教会は「使徒たちによって多くの不思議としるしが行われ」(2:43)発展していきました。
本テキストには、その中の一つの奇跡が記されています。生まれつき足の不自由な人にペテロを通して成された奇跡(癒し)は、主イエスから与えられた権威を用いてなされたものです。誰でも持っているものではなく、ペテロが賜物として主から与えられたものでした(Ⅰコリント12:9,10)。しかし、すべてのクリスチャンが「私にあるもの」と確信をもって言うことができることがあります。
1、驚異的な罪の赦しの経験(コロサイ1:14)
2、キリストに在って神の子どもであるという自己認識(ヨハネ1:12)
3、新しい性質(心、霊)が与えられる(Ⅰヨハネ3:9、エゼキエル36:26)
これらの経験が過去のものでなく、現在のものとして、生き生きと確信を持って証しし、ペテロのように「私たちを見なさい」「私にあるものをあげよう」と語るキリストの証人でありますように。(使徒1:8)
2025年7月13日
「初代キリスト教会の誕生」
聖書箇所:使徒2章37-47節
今週のメッセージ‥‥‥‥…………………………‥‥‥
「初代キリスト教会の誕生」 使徒2章37~47節
キリスト教会誕生の原点が、本テキストに示されています。
1.明確な回心によるスタート
①深く鋭い認罪の自覚と真剣な救いの求め
②神に対する悔い改めと、主キリストに対する信仰
③主イエスの御名による受洗し、自らの信仰を公表する
2、キリストの弟子として生きる
①ともに集まり、使徒たちの教えを守る
②ともに集まり、聖餐を重んじ、交わりを大切にする
③ともに集まり、祈り、祈祷会を大切にする
このペンテコステの出来事から2000年の時が流れましたが、この原則は今も全く変わりません。
私たちの教会生活のスタートとその営みは、この原点からずれることなく、聖霊に満たされ、福音宣教に励むことが求められています。(マタイ4:19、詩篇67:1,2)
自分自身の信仰の原点を吟味しつつ、主に仕えるお互いでありますように。(マタイ18:19,20)
2025年7月6日
「ペテロのペンテコステ説教」
聖書箇所:使徒2章14-36節
1.この説教の舞台設定(14,15節)
①備えられた聴衆
大きな物音で集まり、自分たちの国ことばで神を賛美するキリスト者を目撃し、なぜだろうという疑問を持つ大群衆(ユダヤ教の巡礼者たち)がいました。
②タイミングよく対応したペテロと十一使徒たち
2、この説教で示されたもの(16~35節)
①聖書の予言のみ言葉(ヨエル書2章、詩篇16篇・110篇)
このことは、預言の成就であることが指摘されました。
②ナザレのイエスこそ、約束のメシヤ(キリスト)である。
しるしと不思議、十字架の死と復活、昇天、聖霊降臨の事実によって明らかにされました。(33節)
3、この説教の明確な適用(36節)
「あなたがたはこのイエスを十字架につけたのです」(36節)聖霊の働きで、メシヤの事実がわかり、そのメシヤを十字架につけた責任は、聴衆である一人ひとりにあるという自覚が促されました。今日も変わらず、聖霊は、聖書のみことばを示し、キリストを示し、罪を示され、私たちをキリストの救いに導かれるのです。
2025年6月
2025年6月29日
「主は私の羊飼い」
聖書箇所:詩篇23篇
日本宣教会監督小坂嘉嗣先生をお迎えした、特別礼拝メッセージです。
2025年6月22日
「ペンテコステの出来事」
聖書箇所:使徒2章1-14節
1、意味
ペンテコステに起きた事象は、聖霊時代の到来を意味し、旧約の時代では限定的な働きしか示さなかった神の霊が、この時からすべての人に注がれる可能性が明らかにされたのです(17節)。主イエスの御名によって求めるならば与えられる時代となったのです。(ヨハネ7:37~39,16:25)この事象は聖霊の力を象徴しています。
2、強調点と否定点弟子たち
一同が聖霊に満たされたことが大切な強調点であり、様々な事象は、聖霊の注がれた時に必ず起こることではありません。この出来事は歴史的事実として記されたものです。同じ事象がおこることが、聖霊の満たしの証拠ではありません。
3, この出来事の私たちへのメッセージ
・弟子たちは信仰によって心がきよめられた(使徒15:9)
・よみがえりのキリストが弟子たちの心に、聖霊によって内住された(ガラテヤ2:20)
・キリスト者(弟子)は、聖霊に満たされることが特権であり、父なる神の約束であり、キリストの命令です。大切なのは、今、聖霊に満たされて生きることです。(エペソ5:18)
2025年6月15日
「新しい時代への備え」
聖書箇所:使徒1章12-26節
ペンテコステ(聖霊降臨)は、聖霊時代の始まりであり、主の再臨まで続く教会時代のスタートです。この新しい時代は、主イエスの昇天10日後に到来しましたが、この間が「父の約束」を待った弟子たちの準備期間でありました。
1、心の準備期間
「待て」と主に命じられた弟子たちは、ひとつところに集まり、心を一つにして祈りました。悔い改めと全き献身をもって聖霊を祈り求めました。心を空しくし、求める者に聖霊を与えてくださるという主のことば(ルカ11:13)を信じて待ち望みました。キリストの証人となる力を求めたのです。
2、体制の準備期間
新しい時代は、ユダヤ教を母体として、キリスト教会が誕生するのです。主の直弟子である12使徒は、イスカリオテ・ユダの脱落のため11使徒となり、一人欠員していました。弟子たちは祈りのうちに神に示され使徒の補充を決意します。(マタイ19:28、黙示録21:14)その結果、マッテヤが選出され、使徒に加えられ新しい時代の霊的リーダーたちである12使徒が備えられたのです。
霊的面と、実際面の両面で、最善の備えをして、信仰と献身をもって「その時」を待ち望んだのでした。
2025年6月8日
「父の約束を待て」
聖書箇所:使徒1章3-14節
「父の約束を待て」使徒1章3~14節
昇天される直前に主イエスが語られた弟子たちへの命令(1:4∼5)から「使徒の働き」は始まります。
1、エルサレムを離れないで
エルサレムは、主が十字架にかけられ殺害された場所です。弟子たちに危害が及ぶかもしれません。主に従うことに失敗した場所です。出身地ガリラヤに帰りたいと願っていたでしょう。しかし主は弟子たちに都エルサレムにとどまるよう命じました。(ルカ24:49、イザヤ30:15)
2、わたしから聞いた父の約束
「助け主」「聖霊」「真理の御霊」(ヨハネ16:7)が与えられることは、父なる神の約束です。(ルカ24:49)主の十字架と復活と昇天の結果、必ず与えられる父の約束です。
3,待ちなさい
「待つ」とは、自分勝手な行動を慎むことです。約束された父を信頼することです。語られた主の命令に従うことです。(使徒5:32)
4、聖霊によるバプテスマと聖霊の満たし
主の昇天の10日後、五旬節(ペンテコステ)の日に聖霊は、弟子たち120人の上に臨みました。栄光をお受けになった主が(ヨハネ7:39)約束の聖霊を弟子たちに満たし、キリストの証人として、弟子を遣わされたのです。
2025年6月1日
「主イエス・キリストの昇天」
聖書箇所:使徒1章1-11節
主イエスの昇天の意義は何でしょうか。
①主イエスが地上の使命をすべて終えたことを意味する(9節)
②真の義を世に明確に認めさせるため(ヨハネ16:10)
③父なる神の右に着座され、私たちのためにとりなしてくださる(ローマ8:34)
④聖霊を天の父なる神より受けて、信じるキリスト者に注ぐため(使徒2:33)
⑤再臨される主に希望を持つため(ヨハネ14:3)
この昇天によって、主イエスは天におられ、絶対的な権威をもって、代行者である聖霊を通して、地上に働くことになります。地上におられた主は、地理的、肉体的、時間的制限を受けていましたが、昇天された主は、それらの制限を受けずに、力強く働くことができます。キリスト教会をご自分の体として、御心を行われるのです。「復活されたキリスト行伝」が昇天の後に始まります。「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」と力強く信仰を告白するお互いでありますように。