礼拝メッセージ

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2025年11月

2025年11月16日

 
 

「キリストの選びの器」

聖書箇所:使徒9章10-25節

 
1,神は器を求めておられる(ヨハネ15:16)
神は、聖書全体の光によれば、ご自分の計画を地上に行う際に「ふさわしい人」を用いられます。聖霊降臨後スタートした教会は、聖霊に満たされた人をとおして御業が前進して行きました。(1:8)ですから神は、迫害者サウロに目を留められ、キリストにあって新しい者と造り変え、聖霊に満たして、ご自分の器としてお用いになったのです。
2,尊いことに用いられる器(Ⅱテモテ2:20,21)
主イエスは、サウロ(パウロ)を「わたしの選びの器」とザカリヤに語られました。確かに、彼は主に用いられ、のちに最大の宣教者、神学者となり、2000年の教会時代に、根本的、生命的な影響を与える人物となりました。しかし、主の選びの原則は、「だれでも・・・尊いことに用いられる器となります」(Ⅱテモテ2:21)とありますように、きよめられ、主のものとなることで、人は神の器となるのです。
3,主は器を造られる(ガラテヤ1:15~17)
 サウロは、一時アラビヤに退いた時があり、ダマスコでの三年間の大半は、この退いた期間を含めた備えの時となりました。私たちは神の御手の中にあって、神の器として造られるのです。(エレミヤ18:3~6)

2025年11月9日

 
 

「迫害者サウロの回心」

聖書箇所:使徒9章1-9節

1,驚くべき回心
キリスト教撲滅運動の急先鋒に立つ迫害者サウロが、突然キリストを宣べ伝える伝道者に変わったという事件が起こりました。彼の人生観、世界観がある時を境に正反対に変化したのです。(ガラテヤ1:13)
2,イエス・キリストとの出会い
ダマスコ途上で、サウロは突然天からの強い光によって倒れ、(おそらく落馬したものと思われる)天からの声―主イエスの声を聞きました。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声が主の声であることを知った時、自分の間違いに気づき、その生き方を方向転換しました。彼は大きな神の憐みを受けたのです。
3, この出来事のメッセージ
人は、生ける復活のキリストに出会う時、全く新しく変われるということです。(Ⅱコリント5:17)どのような性格も、生い立ちでも、思想でも、過去に恥ずべき過ちがありましても、例外なく新しく変えられ、新しい使命をもって人生をおくる者とされるのです。(Ⅰテモテ1:13~15)

2025年11月2日

 
 

「ピリポにまなぶ 神の導き」

聖書箇所:使徒8章26-40節

1,主の使いによる導き
主の使いによる神の任命を受けたピリポは、直ちに無条件で従いました。ここに無私の服従を学びます。
2,聖霊による導き
絶妙なタイミングで、エチオピアの高官に遭遇します。御霊の声を聞く姿と行動力を学びます。
3, み言葉による導き
開かれていたイザヤ書53章の聖句から、キリストの十字架の救いについて語り、救いに導く伝道力を学びます。(Ⅰペテロ3:15)
4、力強い神の御手による導き
神に与えられた使命を果たし終えたら直ちにその場を去り、神に栄光を帰し、次の使命に生きる潔さを学びます。ピリポは、神に導かれて生きる私たちの模範です。神は私たちを御名のゆえに正しい道に導かれます(詩23:3)。そして神の祝福をすべての者にもたらす者とされるのです。(詩67:1~ 7)


2025年10月

2025年10月26日

 
 

「み言葉に導かれて」

聖書箇所:詩篇119篇105節

秋のウェルカム礼拝メッセージです。
メッセンジャーは小坂由紀子先生です。

2025年10月19日

 
 

「茨の地に落ちた福音」

聖書箇所:使徒8章9-25節

1,シモンの心にあるもの
魔術師であったシモンは、悪霊とのかかわりと持つ人でしたが、キリストを信じてバプテスマを受けました。彼の入信前の背景や思想が、入信後にどのような影響を与えているか考えることは、私たちの大きな警戒を与えます。
2,悔い改めの不徹底
キリストの福音を信じる時、聖霊は必ずその人に悔い改めなければならない罪を示されます。その罪を告白し、主の十字架を仰ぐように導かれます。その光に従うことなしに、信じることは単なる同意にすぎません。信じる前に、捨てなければならないものがあるのです。(イザヤ55:6,7)
3,茨の地に落ちた福音
福音を聞いて、良い心で信じることが大切です。しかし、せっかくみことばを聞いて信じても、シモンのような不徹底な悔い改めによってふさがれ、実を結ばない心とならないように警戒しなければなりません。(マタイ13:22,23)
「神の恵みを無駄に受けないようにしてください」(Ⅱコリント6:1)

2025年10月12日

 
 

「迫害とサマリア人伝道」

聖書箇所:使徒8章1-8節

1,サウロによる教会迫害(Ⅰ~3節)
ステパノの説教を聞き彼の死を目撃したサウロは、新しいナザレのイエスの教え(キリスト教)がユダヤ教を根本から覆す危険なものであると知りました。それ故、ユダヤ教に誰よりも熱心であったサウロは(ガラテヤ1:14)キリスト教撲滅の急先鋒として立ち上がりました。こうしてエルサレムの初代教会に対する激しい迫害が始まったのです。
2,ピリポによるサマリヤ伝道(4~8節)
エルサレム教会の信徒たちは、サウロによる迫害を避けるために他の地域に四散しました。伝道者ピリポはサマリヤ地方に行き、キリストを伝えました。サマリヤの民はユダヤ人と犬猿の仲であり、強固なボーダー(境界)がありましたが、聖霊の働きにより取り除かれ、神のことばを受け入れるようになりました。その町には大きな喜びがありました。(8節)
3,私たちへのメッセージ
①神は人の憤りさえ摂理のうちに用いられる方(詩篇76:10)
②キリストは、隔ての壁である敵意を打ち壊される(エペソ2:14)

2025年10月5日

 
 

「ステパノの栄光に満ちた死」

聖書箇所:使徒7章51-60節

1,死の直前の二つの祈り(59,60節)ステパノの二つの祈りは、主イエスへの祈りです。主イエスは、十字架上でこの祈りを父なる神に捧げました。ステパノは、同じ内容の祈りを主イエスに捧げています。ここに主イエスの神性が明白に示されています、それは主イエスと共に生きる彼の信仰の現れです。そしてキリストと同じ心で死に臨む彼の内に注がれた聖霊による愛の現れです。(ピリピ1:20,21)。
2,死は眠りにつくこと(60節)それは、ステパノの静かな平和に満ちた死を表しています。それは、生命の継続、安息、目覚め(復活)を意味しています。キリストに在るステパノの死は、恵みと希望に満ちた眠りに等しいものなのです。キリストの恵みは、私たちにこのような栄光に満ちた死を与えるのです。(Ⅰテサロニケ4:13~15)


2025年9月

2025年9月28日

 
 

「ユダヤ人とモーセ物語」

聖書箇所:使徒7章17-43節

1、モーセという人物
①人々に拒まれたが、神に指導者また解放者として選ばれた(35節)
②民をエジプトの地から導き、40年間荒野で不思議としるしを行う(36節)
③キリストの来臨を予言(37節)
④民に与えるために律法を神から授かる(38節)
2,このモーセを退けた民
ステパノは先祖たちの不信仰、不従順、偶像礼拝の罪を語り、モーセを拒み、神の律法を冒涜した事実を示し、「あなたがたは、この先祖たちと同じではないか(51節)。モーセの律法は『私たちをキリストに導く養育係』(ガラテヤ3:24)であなたがたはキリスト拒み十字架につけたのだ」と暗に語り、告発します。
3、私たちにとってのモーセ
私たちはこのモーセから次の点を学びましょう。
①その信仰(へブル11:24~26)
②その謙遜(民数記12:3)
③その神経験(35節)

2025年9月21日

 
 

「ユダヤ人とヨセフ物語」

聖書箇所:使徒7章9-16節

 ヨセフは、三点において主イエスのひな型といえます。
1、売り飛ばされたこと、引き渡されたことヨセフは族長たちに妬まれ、エジプトに売り飛ばされました。主イエスは、ユダヤ人を代表する祭司長、律法学者らに妬まれ、ローマ人による十字架刑に引き渡されました。
2,拒否された後に高く上げられたヨセフは、エジプトの宰相(最高権力者)となり、世界の人々を飢餓から救う救出者となりました。主イエスは復活と昇天により、神の御座の右に着座され、世の罪から人々救う救い主となられました。(ピリピ2:9,10)
3患難時代の絶望からの救いヨセフは、大飢饉の中から、親族全員をエジプトに呼び寄せ救い出します。主イエスは、大患難時代にユダヤ民族を悔い改めに導き、救出し、ユダヤ人の王として再臨され、地上に千年王国を確立されます。(ゼカリヤ12:10)
 ステパノは、ヨセフ物語を語りつつ、聞き手となるユダヤ人たちに、敵対から和解の関係になるよう、主イエスとの関係を問いかけています。(Ⅱコリント5:20)あなたは今、神との平和を持っていますか。(ローマ5:1)

2025年9月14日

 
 

「ユダヤ人とアブラハム物語」

聖書箇所:使徒7章1-8節

1、ユダヤ人の先祖アブラハム
神は、創造主であるご自身の声を聞く心を持ち従っていたアブラハムを特別に選ばれました。(Ⅱ歴代誌16:9)神は彼を通して、全人類に真の神の愛を示し、救い主による祝福を注ぐご計画をお持ちになっておられました。(創世記12:1~3)神はアブラハムを祝福し、その子孫を祝福する契約のしるしとして割礼を命じられました。
2,ステパノの糾弾
「あなたがたは、先祖アブラハムを誇りとするが、本当にアブラハムの信仰と服従をもって主なる神に仕えているか(ヨハネ8:39,6:28,29)外見上の体の割礼が割礼ではない(ローマ2:28)神が遣わされた者(主イエス)を信じて、アブラハムの業を行っているか」と暗に糾弾します。
3,私たちへの適用
私たちキリスト者もまた、主イエスに選ばれた者です。(ヨハネ15:16)豊かな実を結ぶため、神の祝福の管となるために選ばれた存在なのです。バプテスマを受け主に結ばれた私たちは、聖餐式に与るごとに、その祝福の契約を再確認します。これらの営みが形式的なものとならないように警戒しましょう。私たちの恵みの原点の主イエスの十字架と復活の福音を心に留め、感謝と賛美をもって主に仕えるお互いとなりましょう。

2025年9月7日

 
 

「迫害下で輝くステパノ」

聖書箇所:使徒6章8-15節

1,選ばれた人ステパノ(5節)
ステパノは、七人の執事の筆頭として選ばれた人物です。御霊に満たされ、知恵に満ちた評判の良い人として、まず思い浮かぶ人で、頼りになりリーダ―シップを委ねる最適の器と認められました。くじによってではなく信者の内におられる聖霊の導きによる選出でした。
2,奉仕するステパノ(8-10節)
ステパノは、恵みと力に満ち、12使徒たちのようにしるしと不思議を行う人物であり、知恵と御霊に満ちて力強くキリストの福音を語りました。反対者たちとの議論でも、聖書の理解で勝り、主イエスのようにことごとく対抗者たちに勝利します。
3,最高法院に立つステパノ(11-15節)
ステパノは、ユダヤ人の陰謀により、宗教裁判の場に立たされました。彼を囲む敵意に満ちた人たちが彼に目を注ぐと、彼の顔がみ使いの顔のように見えたのです.裁く者たちは、ステパノのうちに、神の権威を認めました。迫害のただ中で彼の人格は輝いていたのです。(ローマ8:37)  
主の恵みは、ステパノに注がれたように、私たちにも注がれています。ステパノを用いられた主は、私たちの主です。聖霊の満たしによって、このような輝きを与えてくださる主を崇めましょう。


2025年8月

2025年8月31日

 
 

「専ら祈りとみことばに」

聖書箇所:使徒6章1-7節

弟子たちの人数が増加したために、12使徒だけでは手に負えない問題が起こって気ました。やもめたちへの助けは大切な働きですが(ヤコブ1:27)、そのために忙殺され第一使命に支障をきたし、12使徒は全信徒に宣言します。「私たちが神のことばを後回しにして‥‥よくありません。私たちは祈りとみことばの奉仕に専念します。」(2~4節)
1、教会の使命の優先順位を明確にする
祈りとみことばの奉仕とは、神に対して祈ること(サムエル12:23)を重んじ、主の宣教命令に従うこと(マタイ28:19,20)です。このことを本気で実行するためには、時間がかかり集中力を必要とします。だからこそ最も大切なこととして取り組む必要があります。
2,愛と配慮を大切にする
使徒たちは、ふさわしい資格を持つ信徒たちを選び、知恵をもって事に当たりました。このことが、教会内に組織化を進ませ、より効率的に奉仕できるよう信徒を導くことになりました。そして神がその営みを祝してくださったのです。(7節)
3,私たちにとって「祈りとみ言葉」の位置はどこに
様々な問題に直面した時、祈りとみことばを第一に置き、上よりの知恵により問題を対処した使徒たちに心を留めましょう。形よりその心を学びましょう。

2025年8月24日

 
 

「人に従うより神に」

聖書箇所:使徒5章17-32節

1,人に従うことを否定するものではない
聖書は、キリスト者が地の塩、世の光であると語っています。(マタイ5:13,14)キリスト者は遵法精神に富み、上に立つ権威に従い、税金を納める良い市民であることが求められています。(ローマ13:1∼7)善と誠意と真実をもって社会生活を営む者です。(Ⅰペテロ2:15)
2,神に従うことが第一の優先順位
しかし、善良な市民であるキリスト者は、同時に神を第一とする優先順位で生きる者です。公権力が神のみこころに反するように対立してきた時は、なおのこと拒否する行動を明確にします。「人に従うより、神に従うべきです」と宣言し行動します。ここにキリスト者が迫害される理由があります。
3,迫害下の助けと恵み
真のキリスト者は、この世において迫害を避けることはできません。(使徒14:22,Ⅱテモテ3:12)しかし、その中において神の保護と助けに与ります。(Ⅰコリント10:13)それは、神の子どもとされた証しですから、喜び感謝することでもあります。(マタイ5:10∼12)
「私たちの一時の軽い苦難は、それと比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」
(Ⅱコリント4:17)

2025年8月17日

 
 

「人の偽善と神の審判」

聖書箇所:使徒5章1-16節

1,偽善の罪と審判神の恵みと祝福によって急拡大する初代教会でしたが、アナニヤ・サッピラ夫妻の偽善のために、神の厳粛な審判が下されました。主イエス様は、学者、パリサイ人の偽善を怒り、憎まれましたが、この時、聖霊を欺く罪として、彼らは死に至りました。「厳しすぎる」と同情と共に、この審判の恐ろしさを覚える方もいるでしょう。新約時代も旧約時代と変わりない神の正義をここに見ます。
2,この審判をどのように見るか第一に、神を畏れる心を学ぶことが求められます。神は聖なる真実なお方で偽りを憎まれます。神の恵みによって救われた者は、すべてを知っておられる神の前に生きる者です。日々主の十字架の血に信頼し、嘘、偽りから守られ、赦されて歩む者なのです。(エペソ4:25)第二に、アナニヤ・サッピラの裁きは、彼らが永遠の審判を受けたものではないことも理解しましょう。(Ⅰコリント5:3-5、Ⅰペテロ4:6)第三に、審判の結果に心を留めましょう。(12-16節)神の働きは前進し、人々は真実に神を求め、キリスト者を尊敬し、主を信じる男女が増加しました。私たちは、神を畏れ、主イエスを仰ぎ、真実に忠実に主に仕える者となりましょう。(Ⅱコリント7:1)

2025年8月10日

 
 

「人の偽善と神の審判」

聖書箇所:使徒4章13-31節

使徒たちの大胆な宣教の秘訣はどこにあるのでしょう。
1,聖霊に教えられて
使徒たちは、主のことば(神のことば)を聖霊に教えられ、理解し(ヨハネ14:26、16:13)、深く確信して語りました。聖書の深く正しい理解が前提となった大胆さです。
2,復活の事実と聖名の力の体験
聖霊によって、目が開かれ、復活のキリストの事実を知り、キリストの聖名の力を体験(ヨハネ20章、使徒2章3章)したことによって、使徒たちは、自分たちが、見たこと聞いたことを話さずにはいられなくなりました。(20節)
3,祈り
弟子たちの大胆さは、人間的なものではなく、神に祈り求めた結果として天より与えられた確信によるものです。
聖霊に満たされ、力を受け、キリストの証人として大胆に神のことばを語りました。秘訣は、聖霊であり、不信と反感、反対と迫害に打ち勝つ神の力なのです。(使徒1:8)

2025年8月3日

 
 

「この方以外には、救いはない」

聖書箇所:使徒4章1-22節

1,真理の排他性
 聖書は、神はお一人であり、他にはいないことを告げています。(イザヤ45:22、Ⅰテモテ2:5)絶対的な真理(神)が認められるとき、他の救いの教えや道は否定されることになります。現代人は、このように排他的で不寛容な主張を受け入れることができず、多様性を認め合うことが良いとし、絶対的な真理そのものを否定しがちです。
2,救いとは
聖書が示す「救い」とは何でしょうか。ペテロが語った救いとは神と人とを隔てる罪からの救いを意味しています。(マタイ1:21、ヨブ22:21)人が不幸である根本原因は、アダム以来、人類に根づく「罪」であり(ローマ3:1012)その罪からの救いは、神ご自身が備えられたキリストの十字架による方法が唯一の道なのです。イエス・キリストのみが救いに至る道なのです。(ヨハネ14:6
2、私たちの応答
①悔い改めと主イエスへの信仰
②賛美と感謝、献身と服従(礼拝とみ言葉に聴くこと)
③宣教(隣人愛の実践―福音を伝え、自身が経験したこと神の恵みを一人でも多くの方に体験していただくこと)


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