礼拝メッセージ

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2020年10月

2020年10月25日

 

「律法かキリスト信仰か」

聖書箇所 ガラテヤ人への手紙3章1-14節

本テキストにおいて、使徒パウロはガラテヤ諸教会のクリスチャンに対し、キリストの死を無意味としようとする律法主義(ユダヤ主義)的な教えに惑わされてはならないと警告します。
1、信仰によってスタートしながら律法の行いによって完成しようとするのか(1~5節)
クリスチャン生涯の危険の一つは、信仰によってイエス・キリストとの救いの関係に入ったにも関わらず、自分の業によってその関係を維持し、完成しようとすることです。神の義は「信仰に始まり、信仰に進ませる」(ローマ1:17)のです。2、信仰の父、アブラハムの信仰に学べ(6~9節)
神は、アブラハムが祝福を約束された神を信じたことを、彼の義とみなされました。(創15:6)それと、同じように神は私たちがキリストに在る祝福を約束された神を信じたから(ローマ4:23~24)義と認められたのです。
3、律法ののろいか、キリストによる祝福か(10~14節)
誰でも、律法の行いによって神の祝福を受けることはできません。(詩篇143:2)キリストは私たちを律法の呪いから贖い出すために十字架にかかられたのです。(13節)
私たちは、ただ信仰によってキリストのもとに行きます。信仰によってキリストにとどまります。信仰によって義とされ、信仰によってきよめられます。(ローマ8:1~4)

2020年10月18日

 

「神の恵みを無にはしない」

聖書箇所 ガラテヤ人への手紙2章15-21節

私たちがキリストの十字架の死をどのように受けとめ信じるかは、信仰生活の根本問題です。
1、私の罪(犯罪)の身代わりの十字架(ローマ3:23,24)
十字架で罪の呪いと神の怒りを、主イエス様が代わって受け死んでくださったことにより、このキリストの十字架の贖いを信じるすべての人が救いにあずかる(義と認められる)のです。(16節)
2、私の罪(自己中心)と共に釘づけられた十字架(ローマ6:6)(19節)
神に反逆する自我そのものを、キリストの死と同一する信仰です。キリストと共に死に、キリストと共によみがえり、キリストの命によって生きるものとされるのです。そして「私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった」主イエス様を信じ、愛し、その御声に従っていくのです。(20節)
1,2、は、すべて神の恵みです。神の前にへりくだり、感謝と喜びとともに、この恵みを受けさせていただきましょう。神の恵みを無にしてはいけません。
「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」(ヨハネ1:16,17)

2020年10月11日

 

「神の唯一の福音」

聖書箇所 ガラテヤ人への手紙1章11-24節

パウロが宣べ伝えた福音とは、どのようなものでしょうか。それは人間によるものではありません。(11,12)人間の思想や哲学、伝承や知識によるものではなく、神が直接パウロに啓示なさったものです。(12,16)それは、パウロのキリスト経験に関係しています。
1 福音とは、御子に関すること(ローマ1:3~4)
2 福音とは、キリストの十字架と復活(Ⅰコリ15:1~8)
3 福音とは、キリストを心に留めること(Ⅱテモテ2:8)
パウロにとって、福音とは、よみがえられたイエス・キリストとの生命の関係を意味しています。(ローマ10:9)そして、信じるすべての人に救いをもたらす神の力(ローマ1:16)なのです。
その神の力と恵みによって、激しく神の教会を迫害しそれを滅ぼそうとしていたパウロを、180度変えて、キリストを宣べ伝える使徒とし、キリスト教会の礎としたのです。(23,24)
福音は、パウロだけでなく、信じるすべての人の人生に救いと祝福をもたらすのです。

2020年10月4日

 

「人間でなく、神によって」

聖書箇所 ガラテヤ人への手紙1章1-10節

パウロは、イエス・キリストの福音(イエスを信じる信仰のみで罪から救われるという良い知らせ)を否定する教え(異端)が入り込み、動揺と混乱の中にあるにあるガラテヤ地方の教会に、手紙を書き送りました。手紙の冒頭で、ガラテヤの教会に伝えた福音の確かさを述べます。人からではなく、神から出たものであることを強調しています。
1 福音宣教者パウロの確かさ…資格と動機の点において(1,10)
2 福音の源泉の確かさ…神の御心から出たもの(4,5)
3 福音の内容の確かさ…補足や訂正など必要としない唯一のもの(6~9)
パウロが伝えたキリストの福音こそ唯一の福音であり、もう一つ別の福音など存在しないのです。(使徒4:12)
私たちは、唯一の福音により、唯一の救い主キリストを信じ(ヨハネ14:6,Ⅰテモテ2:5)唯一の神とともに永遠に生きるものとなるのです。


2020年9月

2020年9月27日

 

「キリストによる新しい戒め」

聖書箇所 ヨハネの福音書13章34,35節

十字架の死を前にして、主イエスは弟子たちに語りました。「あなたがたに新しい戒めを与えます」と。
十戒を中心とするモーセの律法を、主は古い戒めとされ、律法の中心は愛であることを告げられます。生きる指針として、神は十戒を与えてくださいました。しかし私たちは愛することの大切さを知っていても、その愛に生きることができない現実に直面するのです。むしろ、愛のない自己中心な自分自身を知るのです。(ローマ7:12,13)
主イエスは、十字架と復活により、新しい生命の道を開かれました。そのことにより、主はもう一人の助け主(聖霊)を私たちにお与えくださり、キリストの霊が私たちの心に宿ることにより「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という新しい戒めに生きるものとされるのです。私たちは信仰によって、主につながり、主の愛にとどまることが求められています。(ヨハネ15:9)キリストに在って、聖霊により、私たちは互いに愛し合うものとなり、愛は律法を全うするのです。(ローマ13:10、マタイ5:17)

2020年9月20日

 

「心の汚れを映し出す鏡」

聖書箇所 出エジプト記20章1~17節

第10戒「すべてあなたの隣人のものを欲してはならない」は、もっぱら内面的な罪について語り、他人に所属するものを正当な方法ではなく所有したいという欲望(むさぼり)の罪を禁じています。
この戒めは、私たちの欲望の混乱した性格を暴露します。私たちの心の底にある思いと想像力に神の光が照らされ、私たちの内側にあるすべてのものがあらわにされ、自覚させられます。(ローマ7:7)
第10戒は、私たちの汚れを映し出す鏡であり、内側にある汚れに気が付かせてくれるものです。こうして、この戒めは、神の要求の光へと私たちを連れていき、神の前に罪を告白させ、救い主イエス・キリストを待ち望むようにするのです。(ガラテヤ3:24)
私たちは、主イエスの十字架により、今までの悪い欲望から解放され、神の愛に満足し、そこから新しい人生が始まるのです。(ガラテヤ5:24,25)

2020年9月13日

 

「キリスト者と真実」

聖書箇所 出エジプト記20章1~16節

第9戒「隣人について偽りの証言をしてはならない」は直接的には裁判における偽証の禁止を意味しています。この戒めは嘘をつきやすい私たちの弱さに光を与え、悪口、陰口を禁止する指針ともなっています。みだりに隣人を中傷する人は、やがて、公の裁判で偽証するようになりやすいからです。本人のいないところでいうのは、本人に弁明を認めない証言となります。私たちは、偽りを捨てて隣人に対して真実を語ることが求められています。(エペソ4:25)悪口、陰口ではなく、人の徳を養うのに役立つ言葉を話すことが求められています(エペソ4:29)また、隣人の事情を理解せず、原理原則で裁き、訴えることを許していません。真理の証言は隣人に対して愛をもって語ることが求められています。(エペソ4:15)
この戒めは、嘘をついてしまう自分自身の本当の姿に直面させます。ペテロがイエス様を知らないと自分を守るために嘘をついたように、私たちもこの弱さを抱えています。
キリストの十字架の圧倒的な愛と赦しの前に立つことこそ、偽りから解放される道であることに導きます。嘘をついてまで守ろうとする自分のプライド、人間関係における評価や、評判などキリストの十字架の前になんと小さなものでしょうか。

2020年9月6日

 

「誠実な管理人として生きる」

聖書箇所 出エジプト記20章1~15節

第8戒「盗んではならない」、次の点に心を留めましょう。
この戒めは、私たちの所有権を神が承認しておられることを前提とし、この権利を侵害することを禁じるものです。   私たちが所有するには、他人からの贈り物か、労働の正当な報酬ですが、それ以外はこの戒めの違反です。(エペソ4:28)盗むことは、嘘や欺き、むさぼりと深く結びつき、第9,10戒と密接な関係があります(レビ19:11)
私たちは、すべてのものを、神の恵みによって与えられています。(詩24:1)真の所有者は神であり、私たちは、その管理と使用を神から委ねられた管理人であることを忘れてはいけません。真の所有者である神の御心に沿って用いることが求められています。
ただ物を盗まなければいいのではありません。私たちが心を尽くして神を愛し、隣人を自分自身のように愛して、自らの所有をいかに用いるかという点に誠実であることが求められています。(ルカ16:10)
十字架の主の愛を、聖霊によって心に注いでいただくことにより、私たちはこの戒めに生きることができるのです。


2020年8月

2020年8月30日

 

「隠れていてよいのです」

聖書箇所 マタイの福音書6章1~18節

1.注意:人に見せるために、自分の義を行うことがないように気をつけてください。人からの報いを受けてしまえば、その行いの報いは「全額領収済み」となってしまいます。
2.期待:あなたの父は隠れたところで見ておられます。陰での施し・祈り・断食は、天の父にすべて届いています。天の父からの報いは永遠に続くすばらしいものです。
3.真理:隠しても隠し切れない真理があります。私たちが隠れていても隠れきれないほど、キリストの香りがただよい、主イエスの光を受けて輝くことができますように。

2020年8月23日

 

「祝福された結婚生活のために」

聖書箇所 出エジプト記20章1~14節

人間の持っている性欲は、神から与えられた本能の一つであり、それ自体は決して悪いものではなく尊いものです(創1:28)。しかしこの性欲を無制限に用いることは許されていません。神は人間を創造されたすぐ後に、結婚の制度を定められたからです(創世記2:22-24)。性の関係は、結婚制度の中でのみ許されるのです。結婚以前の性行為及び、結婚後の配偶者以外との性行為は第7戒「姦淫してはならない」の違反となり、姦淫の罪となります。主イエスは、この律法を外面的な行動だけでなく、内面的なみだらな思いや、好色な欲望にさかのぼり、断罪されました。(マタイ5:28)
第7戒は、私たちの罪を示すとともに、十字架による罪の赦しの必要性を示します。主の御許に行く時、主の赦しの御声を聞くのです(ヨハネ8:11)。
この戒めは、私たちに、結婚がすべての人に尊ばれるように指し示すのです(へブル13:4)。地上に愛し合う夫婦が築き上げられるために、神が与えられた指針です。神と配偶者を裏切らない真実な交わりの中に、祝福される結婚生活があるのです。

2020年8月16日

 

「いのちは神の御手の中に」

聖書箇所 出エジプト記20章1~13節

第6戒「殺してはならない」は、短く、明快な言葉ですが、実はそれほど簡単な戒めではありません。イエス・キリストはこの戒めの根源までさかのぼりました。(マタイ5:21-22)実際に殺さなくても、ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心などが取り除かれない限り、この戒めを守ったことにならないということです(Ⅰヨハネ3:15)。
なぜ殺してはならないのでしょうか。聖書は「神は人を神のかたちとして造った」(創世記1:27,9:6)
と語り、人間の命の尊厳と、神がその命の創造者、所有者、管理者であると示しています。いのちは神の御手の中にあるのです(詩31:15)。殺すことは、神の所有である領域を犯し、自らを神とする行為であり、第1,2戒の違反なのです。それは自分の命であっても他人の命を奪うことと同様です。(Ⅰコリント6:19)
この第6戒の目指すところは、「生かされること」「愛し合うこと」です。パウロは善をもって悪に打ち勝つよう語っています(ローマ12:20,21)。私たちのとるべきものは、武器ではなく、愛の力です。私たちは愛することで、敵を巻き込んでいく力を主イエスから受け取るのです。聖霊と愛に満たされて生きる恵みを、キリストにあって神は与えてくださいます。(ルカ11:13)

2020年8月9日

 

「あなたの父と母を敬え」

聖書箇所 出エジプト記20章1~12節

▽私たちと両親との人間関係は、神が与えられた特別なものです。両親は最も近い隣人でもあります。第五戒は、「敬う」ことを命じ、幼少時は「従う」ことにより(エペソ6:1)、成人してからは「大切にする」ことによって敬う態度を示すように求めています.(Ⅰテモテ5:8)
神を重んじるものは、両親を重んじるはずであり、両親を重んじるものは神を重んじるのです。
▽この戒めには素晴らしい約束が伴っています。(エペ6:3)幸福と長命は神の祝福の象徴です
▽この戒めは。「敬われやすい親になること」を祈り求めるよう語りかけています。(エペ6:4、コロサイ3:21)
▽「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:39)という大切な戒めは、まずこの第五戒が重んじられるとき,十戒後半の戒めが、大切にされ、守りやすい指針となるのです。高齢化社会に生きる私たちですが、神の恵みによって両親を敬うキリストの証し人になりましょう。

2020年8月2日

 

「時間の聖別と労働」

聖書箇所 出エジプト記20章1~11節

第4戒は、七日間のうち一日を、休息と礼拝の日にするように命じられたものです。(詩篇46:10)
同時に六日間は勤勉に労働し、神の御旨を行うよう勧めています。(ローマ12:11)礼拝は、人に労働に適した霊性を与え、労働は感謝と賛美に満ちた礼拝に導くのです。
私たちは、日曜日毎に、主の御前に集い神の新しい創造(復活)を覚え、主の救いの御業を賛美します。(申命記5:15)
主の日を聖別して主を礼拝し、体と心を休めて、家族とともに過ごすことにより、続く六日間の労働が価値と意義のあるものとなり、神とともに生きる人生のすばらしさを知るのです。
この戒めこそ、神を愛し、人を愛する生き方の要でもあり、神の祝福にあずかる道なのです。(イザヤ58:13,14)


2020年7月

2020年7月26日

 

「神の御名にふさわしく生きよ」

聖書箇所 出エジプト記20章1~7節

▽第三戒は、主の名がみだりに唱えられることを禁じています。みだりにとは、軽率で不真面目な心で御名を口にすることです。神の権威を自分の利益や主張のために利用することでもあります。神の御名を呼びながら、実生活が信仰告白と一致しない偽善行為を主は嫌われるのです。(マタイ7:21)
▽神は、その名に「ふさわしい」使い方によって呼ばれることを求めておられます。私たちがその御名の前に畏れ(敬虔)を持てひれ伏し、賛美をもって御名を尊ぶことを求めておられます。
神がご自身の心と力と愛のすべてを要約し、最終的に示された名が「イエス」です。(へブル1:1~3、使徒4:12)
私たちキリスト者は、「イエス・キリストの御名」が刻まれた者として、全生活、全領域を通してキリストを証しする人生へと導かれているのです。主イエスの十字架と復活、ペンテコステの恵みはこのためにあるのです。

2020年7月19日

 

「偶像から自分を守りなさい」

聖書箇所 出エジプト記20章1~6節

第二戒は、唯一の神を信じて礼拝するときにのみ行う行為を、他のものに対してすることを禁止しています。第一戒は、神の唯一性を擁護し、多神教に対して反対していますが、第二戒は、神が霊であることを擁護し、偶像と物質主義に対して反対しています(ヨハネ4:24)
▽第二戒の中心点
主なる神は「わたしに直接来なさい。そして、助けと考えられるどんなものも、私たちの交わりの間に介入させてはならない」と語っておられます。私たちの魂と神の間には、直接の交わり以外には、何物も存在してはならないのです。
イエス・キリストこそ唯一の道です。(ヨハネ14:6,Ⅰテモテ2:5)新しい生ける道が開かれたのです。(へブル10:20)
▽私たちの戦い(Ⅰテモテ6:12)
私たちキリスト者の神への愛を妨げ、ゆがめるのは神と私たちの間に忍び込む偶像です。主に祈りつつ、絶えず警戒しなければなりません。(Ⅰヨハネ5:21)
主を愛し、主の命令を守り、千代にまで施されている恵みにあずかるお互いとなりましょう。

2020年7月12日

 

「本当の愛に生きるために」

聖書箇所 出エジプト記20章1~3節

1.十戒が与えられた背景(1節)
十戒は、神が一方的に押し付けたものではなく、神の愛に意志をもって応える人間の自由な応答です。(19:4-8)
2.十戒の大切な前文(2節)
十戒は、罪のうちにあり、自由と真理と生きる意味を失った奴隷状態にある私たちを救い出し,贖ってくださった神との愛の関係が前提となっています。(エペソ2:4,5)そして、「あなたの神」と個人的に名指しされ、「あなたはどうするのですか」と、語りかけておられるのです。
3.第一戒の中心(3節)
贖い主、救い主である三位一体の唯一の神との深い交わりの愛に生きることが命じられています。他の神々への心移りがあってはならないのは、当然のことです。本当の愛、本物の愛がここにあるからです。(Ⅰヨハネ4:10)常に、神の御前に生きる敬虔な歩みが求められています。(詩16:8)
この十戒に示される神を愛して生きることがキリスト者の倫理的生活の出発点となるのです。

2020年7月5日

 

「十戒とキリスト者」

聖書箇所 ヨハネの福音書14章15~21節

1、十戒とは何か
律法は,神が人間に与えられた生きる指針です。十戒は神の律法の本質的な要約で成文化されたものです。ここに神の心が示され、人間への愛が示されています。その役割は、
①人間社会に法的秩序をもたらし、人間関係における悪を抑制させます。
②キリストの救いを求めさせる養育係で、教育係です。人間の唯一の救いはイエス・キリストであることを自覚させるのです。(ガラテヤ3:24)
③キリスト信者に「いかに生きるか」を示し、神とともに生きる倫理基準を与えるのです。(マタイ5:17へブル8:10)
2、十戒とキリスト者
救われたキリスト者が、十戒をどのように受け止め、日々の生活を送るかは、生命的に大切なことです。形式的、字義的になり本質を見失う律法主義と、神が定められた恵みの手段を無視して信仰のみとする唯信仰主義を警戒しなければなりません。
聖書の光が示す世界観を正しく理解し、神と人を愛する愛に生きる信仰者になりましょう。


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