礼拝メッセージ

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2025年1月

2025年1月19日

 

「天に宝を蓄えなさい」

聖書箇所:マタイ6章19-21節

1、自分のために地に蓄えるな
人生には、時には高額な出費があり、蓄財を否定しているのはありません。必要な富を蓄えることは大切です。しかし、物欲に捕らわれ、すべての関心が富の増加だけに向けられ「金銭を愛する」生き方が禁じられているのです。(Ⅰテモテ6:10)
2,自分のために天に蓄えよ
私たちの宝は、本来神のものです。私たちには所有権はありません。私たちの体も、時間も、家族も,財も、才能も、何もかも神から預けられたものです。その宝を正しく使うことが命じられています。主に在って、生活の必要に備え、日常生活を大いに楽しむことは、天に宝を蓄えることです。(Ⅰテモテ6:17~19)そして、永遠の友を得る宣教の働のため(ルカ16:9)、更に多くの愛の業のために地の宝をささげる時、宝を天に蓄えることになります。(マタイ25:34~40)
3,宝のある所に心が
虫も、さびもつかず、盗人もいない、天に富を蓄積することこそ、安全、確実で自分のために報われる道です。天に望みを置き、主イエスを宝として歩むお互いとなりましょう。

2025年1月12日

 

「真の断食」

聖書箇所:マタイ6章16-18節

主は、弟子たちに断食をそれほど奨めてはおられませんが(マタイ9:14~15)、軽視したのではありません。軽視していれば、このように断食に伴う危険性を指摘することもなかったでしょう。施しや祈りの場合もそうでしたが、断食も人の前で行わないようにと戒めておられます。自分がいかに敬虔で信仰深い者であるかを示すために断食してはならないといわれるのです。人を意識するとき、「神のために」なされるどのような行為もその意味を失ってしまします。
真の断食は、ひたすら父なる神に集中するための、間接的な働きです。他者が自分をどう見るか、どう評価するかという意識が全く入り込む余地がないのです。神の前にひたすら祈るための手段なのです。
私たちの人生には、重大な決断が必要な時、深刻な悩み苦しみに遭遇する時があります。そのような時、祈りと断食により、神の御介入を願うことは幸いなことです。(マルコ9:29)

2025年1月5日

 

「この山を我に与えよ」

聖書箇所:ヨシュア記14章1-15節

老聖徒カレブのこの要求のことばについて学びましょう。1,この山
45年前、カデシュ・バルネアで、イスラエル民族は不信仰となり、約束の地には入れないと大多数の人々が嘆く原因となった強力な城塞都市(ヘブロン)があった山です。この時、カレブは信仰をもって進撃することを主張しましたが、民の不信仰のゆえに叶いませんでした。しかし、主はこの山を彼に与えると約束されました。
2,我に
カレブ自身は、「主に従い通した」ものであることが証されています。(8,9,14)それは、自らの証言だけでなく、指導者モーセと聖霊によるものでした。
3、与えよ
カレブの要求は①神の約束への信頼、②継続的な服従から生まれる信仰③主が共におられるという信仰に基ずくものでした。主は彼の信仰のゆえに「この山」を与えてくださいました。
この山と呼ぶような問題、課題をお持ちでしょうか。今年、カレブのように信仰によって挑戦し、主からの祝福を得るお互いとならせていただきましょう。


2024年12月

2024年12月29日

 

「主に感謝と賛美を」

聖書箇所:詩篇103篇

詩篇103篇2節に、「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とありますが、主が良くしてくださったこととは何でしょう
①すべての罪を赦し(3節)
②すべての霊肉の病の癒し(3節)
③永遠のいのちの祝福(4節)
④恵みと憐みの祝福(4節)
⑤継続的な必要の備え(5節)
⑥霊的刷新の祝福(5節)
これら6項目が、キリストの十字架による救いの恵みによって与えられています。ただ信仰によって与えていただいた神の恵みです。私たちは主の聖なる御名を心から讃え、主の御業を心にとめ感謝しましょう。

2024年12月22日

 

「クリスマスの発見」

聖書箇所:マタイ2章1-12節

1、真理を熱心に求める(箴言8:17))
東の博士たちが、異常に輝く星を見て、どのようにしてそれが全世界の救い主の誕生として確信したのでしょうか。神はどの国の人であっても神を恐れ、真理を追求する者を受け入れてくださいます。(使徒10:35,36)
2,真理のために犠牲をいとわない(ピリピ3:7,8)
東の国から砂漠を越え、贈り物を携えユダヤの地にやってきた彼らの行動は、人生をかけた真剣なものであると言えます。
3,真理に従う決意を持つ
 救い主イエス様にお会いし、礼拝をささげた彼らは、天よりの御告げに従い、ヘロデ王の怒りを恐れず、別の道から帰っていきました。新しい人生を歩み始めるのです。
彼らを真理に導いた星は、私たちにとって「聖書のみことば」です。(Ⅱペテロ1:19)主はみ言葉によって新しい人生に導かれるのです。(詩119:105)。

2024年12月15日

 

「クリスマスのしるし」

聖書箇所:ルカ2章1-20節

クリスマスの夜、羊飼いたちに現れた天の使いは「布にくるまって飼い葉おけに寝ているみどりご」がクリスマスのしるしだと宣言しました。
1、神の謙遜のしるし(Ⅱコリント8:9)
この世の人々は、神を無視し利己的な思いために、キリストを家畜小屋の飼い葉桶に追いやりました。このことは私たちのために貧しくなられたキリスト、自らを低くして生まれ、死にまで従われたキリストを示すものでした。
2,神の愛のしるし(ヨハネ3:16)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに私たちを愛してくださいました。私たちの抱えきれぬほどの大きな罪を背負うためにキリストは生まれたのです。時満ちて、ついに人となって主は来られたのです。
3,神の招きのしるし(マタイ11:28)
 神は、求めさえすれば、キリストを識別し見出すことができるように、このしるしを備えられました。(使徒17:27)このイエス・キリストはすべての人の主です。(使徒10:36)

2024年12月8日

 

「クリスマスの告知」

聖書箇所:ルカ1章26-38節

1、理解を越えた告知
天使ガブリエルがマリヤに告げたメシヤ誕生の知らせは、衝撃的なものです。久しくユダヤ人が待ち望んでいたメシヤが、マリヤを母として世に来られるという理解を越えた告知でした。神が人となり、人類の歴史の中に介入され、救済計画を実現されるのです。
2,選びによる告知
マリヤは、突然で一方的な告知に戸惑いました。ナザレ村の卑しい一少女に、神はなぜ目を留められたのか(1:48)理解できませんでした。しかし、彼女こそ、神の御心にかなった器として選ばれ(Ⅰサムエル16:7)、ついに時が満ちて(ガラテヤ4:4,5)この告知に至ったのです。
3,決断を促す告知
 神の人類救済計画は、人を器として用いられて進みますが、本人の同意なしに事は進まないのです。「どうぞ、あなたのおことば通り、この身になりますように」(38節)というマリヤの信仰による決断があってクリスマスが訪れるようになったのです。神の救いの恵みと祝福は、私たちの信仰による決断と服従にあることを心に留めましょう。

2024年12月1日

 

「悪からお救いください」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

1、試みにあわせないでください
キリスト者は、トラブルもない、平穏無事な生活を約束されていません。(ヨハネ16:33)栄光にあずかる準備として、多くの訓練が必要なことを神はご存じです。しかしサタンはその訓練としての試練に乗じ、不信仰になるよう誘惑を仕掛け、罪を犯すように働きかけてきます。私たちは弱く貧しい者ですから、「やすやすと誘惑に会い、誘惑に負けてしまいやすい状態に私たちを引いていかないでください」という意味で祈ることが大切です。神の真実と約束に信頼することが求められています。(Ⅰコリント10:13)
2,悪からお救いください。
私たちは救われた時、悪魔の支配から神の支配へと移されました。(使徒26:18、コロサイ1:13)しかし、サタンはその支配を取り戻そうと、強力な力で、私たちを不信仰や不従順で実を結ばないキリスト者にしようと策略をめぐらしてきます。(エペソ6:11)ですから「お救いください」と祈ることが大切なのです。誘惑との戦いは単なる防御ではなく、神に対する積極的な信頼と服従をもって祈ることなのです。(Ⅰペテロ5:9)


2024年11月

2024年11月24日

 

「罪をお赦しください」

聖書箇所:マタイ6章9-15節 18章21-35節

1、負い目をお赦しください
キリスト者は、キリストの十字架のゆえにすべての罪が赦された者です。(Ⅱコリント5:21)キリストにあるならば、罪に定められることはありません。(ローマ8:1)しかし、日ごとの糧の必要を祈るように、日ごとの罪の赦しを祈ることが必要なのです。なぜなら、神への故意の反逆はなくなりますが、言葉と、思い、行動において失敗し、迷惑をかけることが多い者だからです。(ヨハネ13:8~10)朝、太陽を仰がなければ一日が始まらないように、御子イエスの十字架の血潮を仰がなければ、一日が始まらないのがキリスト者です。
2,私たちも、負い目のある人を赦します。
私たちは、キリストのゆえに恵みによって、神から罪の赦しを頂いたものです。このことを体験した者なら、私たちに罪を犯すものを、同様に赦す者となるはずです。しかし、赦すことの難しさを知る時、ただ神の前にへりくだり、赦すことができるようにと祈る者となります。そして、そのような私たちを赦してくださった神の無限の赦しに示された愛を知るのです。すべての罪の赦しは、キリストの十字架によることを覚え、人の過ちを赦すものとなりましょう。(エペソ4:32)

2024年11月17日

 

「日ごとの糧を、今日も」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

 主の祈りの後半は、自分自身にかかわる祈りです。まず始めに求めるのは、「生きる」ための必要を求める祈りです。
1,日々の糧
父なる神は、一羽の雀に目を留め、私たちの髪の毛さえも数えられ(マタイ10:29,30)、私たちの生存のための必要すべてを顧みられるお方です。すべての良き物は、父なる神から来ていることを自覚し、祈り、感謝することは私たちの務めです。
2,日ごとに、今日も
父なる神は、一時的に一括して恵みを与えるのではなく、日ごとに、その日に与えなさるお方です。それは、私たちが父なる神を日々信頼し、愛の交わりを保ち続ける為に必要な方法なのです。「今日もあなたを信頼します」「今日もあなたを愛します」「今日もあなたにお仕えします」という祈りを期待しておられるのです。
3、私たちにお与えください
 父なる神は、キリストに在って、私たちの祈りをお聞きくださいます。キリストに在って、深い愛の交流ができるようにしておられます。一足一足キリストに頼り、歩む信仰生活を日々送るお互いとなりましょう。

2024年11月10日

 

「みこころが行われますように」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

1,みこころ天で行われるように
天とは神のおられるところであり、罪がありません。聖い神の御座なのです。天においては神のみこころが、天使によって心から進んで喜びにあふれて行われています。(詩103:20,21)荘厳、調和、美しさに満ち、神の主権が完全に行われる世界なのです。(黙示録4,5章)
2,地でも行われるように
この地は、憎しみがあり争いが絶えません。罪のゆえに混乱し、無秩序、争いは世界のあちこちで噴出しています。しかし、神は世を愛して、御子イエス様をお与えくださり、救いの道を開かれ、罪よりの救いの福音を与えてくださいました。神のみこころが地においてもなるようにという主イエスの重荷を共有するところに、私たちの救霊、宣教があり、祈りがあります。
3、私にも行われるように
 主イエス様の真実な願いは、私たち一人ひとりが真に神のみこころに生きることなのです。主イエスがゲッセマネの園で「わたしの願いではなくみこころがなりますように」(ルカ22:42)と祈られた模範にならい、私たちがみ旨に喜び従うこと(詩40:8)を、主は願っておられるのです。  ただ主のみこころが成るように祈りましょう。

2024年11月3日

 

「御国が来ますように」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

1,御国
 御国とは、神の王国です。神の王国とは、神が王として支配されることを意味します。神が現に支配されるところ、そこに御国があります。
2,来ますように
神の支配が及ぶように、拡大して届くように、という願いです。
①私自身に来ますように(聖潔)
私の心の中に、神が王として来て下さり、支配し治め
てくださるようにと祈り、神との主従関係を確認し、心の全き聖潔を求めることです。(Ⅰテサロニケ5:23)
②隣人に来ますように(宣教)
他者の心の中に神の支配が及ぶように願うことは、福
音宣教の進展と、救霊によるリバイバルを願うことにつながります。(詩篇67:7)
③この世界に来ますように(再臨)
この世はサタンが支配する国ですが、キリストの再臨によって、その支配は完全に神のものとなります。千年王国、新天新地の実現こそ、神のご計画であり、私たちの願いなのです。(Ⅱペテロ3:12,13)


2024年10月

2024年10月27日

 

「御名があがめられますように」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

1,御名とは ユダヤ人は、神の名をみだりに唱えることを恐れ、神の名(ヤーウェ)が聖書に出てくると、そのまま使うのを避けて、神を「御名」と呼びました。したがってここで「御名」とは、神ご自身を指すのです。その本質、性格、属性のすべてを表現する言葉です。
2,御名を崇めるとは「崇める」とは、直訳すれば「聖なるものとする」とか「尊敬する」というような意味になります。神ご自身を神でないもの、神にふさわしくないものから区別して、他のいかなるものとも違う方として認め、神を神としてほめたたえることです。この願いの意味は全世界が頭と垂れて、神をあがめ、敬い、賛美し、礼拝し、褒めたたえ、感謝するという求めを言い表しています。(詩篇57:11、ピリピ2:10~11)
3,適用心から神があがめられ、礼拝され、人々の間で尊ばれることが、あなたの何ものにも勝る最大の求めとなっているでしょうか。この求めが神へささげる祈りの筆頭のテーマになっているでしょうか。自己中心から神中心に変えられた祈りこそ、祝福を受ける秘訣なのです。(ピリピ1:20)

2024年10月20日

 

「天にいます私たちの父よ」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

主の祈りは、まず神への呼びかけから始まります
1,父よ
 創造主なる神を「父」と呼ぶように主は教えてくださいました。主イエスを信じ、罪の赦しを与り、新しく生まれ変わったものは神の子とされたのです。(ヨハネ1:12)私たちは「アバ、父」と叫ぶ御霊の証しが与えられます。(ローマ8:1516
2,天にいます父よ
私たちの地上における父親のイメージは、必ずしも良いものではないことがあります。自己中心な父親に育てられた人は父という表現自体を嫌うでしょう。この祈りの「天にいます」お方、それは「イエス・キリストの父なる神」なのです。イエス様のお父様が私の父親となってくださるのです。(Ⅱコリント1:3
3,私たちの父よ
「隠れたところで見ておられるあなたの父」(4節、6節)とあり、父なる神と私との関係が、祈りにおいて強調されていますが、主の祈りでは、「私たち」と「父なる神」は神の家族であることが強調されています。唯一の神をイエス・キリストにあって父とし、教会という共同体に在って祈るのです。(エペソ3:2021

2024年10月13日

 

「あなたがたはこう祈りなさい」

聖書箇所:マタイ6章9-13節

1,祈りの前の沈黙
 「ですから」と、主は語り、偽善者の祈りと異教徒の祈りを警戒することを前提として、「主の祈り」を教えてくださいました。神の前に一人出て、神に面会し、話そうとしているのです。愛と真実、義と聖きに満ちた全知全能のお方を静まって知るところから祈りは始まります。(詩46:10)
2,祈りの典型
「主の祈り」は、私たちが祈るための「型」「典型」が教えられています。祈りはまず「呼びかけ」から始まり、「神にかかわる祈り」「わたしたちにかかわる祈り」そして頌栄のことばで終わります。この順序は主が教えられたものです。
(ルカ11:1~2)
3,祈りの内容
「主の祈り」の中に、私たちが神に祈るべきすべての本質が含まれています。その意味で、その内容を理解することは非常に大切です(ローマ8:26)。理解せずただ唱えるだけなら、くどくど祈る異教徒の祈りと少しも変わりません。
「主の祈り」の内容が私たちの日々の祈りの生活に正しく反映される時、健全な信仰の成長があります。

2024年10月6日

 

「祈る態度」

聖書箇所:マタイ6章5-8節

1,誤った祈り方
①偽善的な祈り
パリサイ人の代表されるこの祈りの目的は、神を崇める
ためではなく、自己を崇めるために用いられています。自分の祈り深さや敬虔深さを誇示する見せかけの祈りです。神にではなく、自分自身に注意が向けられているのです。
②迷信的な祈り
 同じ言葉を無意味に繰り返して祈ることは、異教宗教の特質です。ことば数を多くし、祈りの量(時間)を多くすることで、効き目を求める愚かな祈りです。
2,正しい祈り方
①雑念を退け、神と二人きりになる時間と場所を持ち、神
と向き合う祈りです。
②信仰の確信をもって祈りことです。すでにかなえられた
と信じ、祈るのです。(マルコ11:24、Ⅰヨハネ5:14,15)私たちの天の父は、「お願いする先に」何が必要かを完全
に知っておられます。ですからくどくど祈らなくてよいの
です。子が信頼して求めてくることを父は喜ぶのです。


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