礼拝メッセージ

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2024年7月

2024年7月21日

 

「世の光としてのキリスト者」

聖書箇所:マタイ5章13-16節

1、キリスト者が置かれている現状 世は暗黒で闇の世界であると語られています。知識や文化の向上、発展により、人類はより明るい世界を築いていうように見えますが、神を否定する神なき世界は罪とけがれに満ち、不信と憎しみと絶望の世界なのです。(詩14:1)。
2,世にあるキリスト者の存在 キリスト者は、暗やみの中に輝く光として比喩的に語られています。光とは聖さを現わす表現で(Ⅰヨハネ1:5)聖さは神に属します。主イエスは世の光です。(ヨハネ8:12)そして、この光である主を心に受け入れたキリスト者を、主は世の光であると宣言されました。そして光の子として歩むように命じられたのです。(エペソ5:8,9)。
3,光を輝かせることがキリスト者の使命 キリスト者は、隠れることができない存在です。光を隠してはならないのです。キリスト者こそ、信仰の光、愛の光、希望の光を世に現す存在なのです。(Ⅰペテロ2:9)キリストに在る恵みの経験、そしてキリストの福音を世に語ることにより、キリストのすばらしさを知らせることが、世にあるキリスト者の使命です。人々がキリストを信じ救われ、心から神をあがめるようになることが神のみこころなのです。

2024年7月14日

 

「地の塩としてのキリスト者」

聖書箇所:マタイ5章13-16節

1、地の塩としての存在
 主イエスは、救いに与ったキリスト者を地の塩であると宣言されます。キリスト者はこの世に生きていますが、キリストに似たものとして異質の存在です。塩が周囲に溶け込んで影響を与えるように、キリスト者はこの世に影響を与える存在です。
2,地の塩としての効力
 第1に腐敗防止の効力です。罪を犯した人類は、ノアの時代のように腐敗性をもっており、神の裁きを避けることはできません。キリスト者こそ、地の防腐剤の働きをする存在です。第2に味をつける効力です。神と離れた人生は、目的も意義もなく無味乾燥なものです。希望もなく平安のない人生です。神と共に歩むキリスト者の親切で塩味の効いた言葉(コロサイ4:6)とその愛の存在がどれほど周囲の人々を潤し、生かすことでしょうか。
3,塩気を失うことへの警告
 塩は不純物が混じると、その効力が失われます。この世と安易に妥協し,同化すると、キリスト者は本来の塩気を失うのです。神を第一として聖霊に満たされて歩むお互いとなりましょう。

2024年7月7日

 

「義のために迫害されている者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1、義のために迫害
 義のためとは、キリストの為、あるいはキリストに似た者(弟子)と言い換えることができます。それ以外の異なる理由で迫害されているなら(Ⅰペテロ4:14~16)祝福ではありません。
2,なぜ迫害されるのか
 キリスト者は、キリストのものであり、この世の者でありません。キリストに似た者として真理に歩むとき、この世の神(サタン)とその暗闇の勢力は敵対者として憎しみをもって迫害するのです。(ヨハネ15:18~20)
3,だれが迫害するのか
 キリスト教信仰を禁じる国家権力、また、世と妥協する教会、名目上のキリスト者によっても迫害されます。狭い道を歩むキリスト者をあざけるのです。(Ⅱテモテ3:12)
4,天における大いなる報い
 天の神は、大いなる祝福を約束され、希望と喜びも持って信仰生涯を全うするよう励ましてくださいます。(へブル12:1,2)「天の御国はその人たちのものだからです」


2024年6月

2024年6月30日

 

「教会はキリストのからだ」

聖書箇所:エペソ1章22,23節

日本宣教会監督小坂義嗣先生によるメッセージです

2024年6月23日

 

「平和をつくる者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,平和
平和をつくる者とは、政治的平和運動でもなく、人間関係に波風を立てない事なかれ主義となることでもありません。真の平和は心の問題です。(イザヤ57:20,21)
2,キリストを紹介
 キリスト者はきよめられることにより、心に平安を得ますが、決してそれだけにとどまることはありません。キリストの証人となりキリストを伝える人になります。(使徒1:8)真の平和を心にもたらすお方(キリスト)を紹介し、神との平和(ローマ5:1)とキリストの平和(ヨハネ14:27)を経験してほしいと隣人に伝える人になるのです。
3,平和をつくる幸い
 キリストの新しい戒め(ヨハネ13:24,25)キリストの律法(ガラテヤ6:1,2)に生き、キリストの福音にふさわしい生活をする者に、父なる神は、「わたしの愛する子」と呼び、心にかなう者として喜ばれるのです。

2024年6月16日

 

「心のきよい者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

八福の前半の四つは、神と信仰者の個人的関係、後半の四つは祝福を受けた信仰者が隣人(他者)に現す関係を示し、後半の二つ目に属するこの祝福は「隣人への全き愛」(マタイ22:36~40)を示しています。
1,心のきよい者とは
 二分されない単一の心を意味し(詩篇24:3,4ヤコブ4:8)その心と思いがすべて神に向けられている人です。内心の罪、汚れはきよめられ、聖霊が臨み、愛に満たされることで、この時私たちは真の隣人愛に生きる者となります。主の十字架の贖いの血がこのことを可能とします。(ヨハネ1:7)
2,神を見るとは
 主がお語りになった新しい愛の戒め(ヨハネ13:34)を守る時、主に愛され、主ご自身はその人に現れてくださいます。(ヨハネ14:21)神を見るとは、肉眼で見ることでなく、日常生活の中で神の御業を見ることです。そして天に帰る日には、顔と顔を合わせて見る幸いが約束されています。(Ⅰコリント13:12)

2024年6月9日

 

「あわれみ深い者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

 
1,聖書が語るあわれみ
単なる感傷や情緒ではなく、行動が伴った同情で、主がお語りになった「良きサマリヤ人のたとえ」(ルカ10:30~37)に示されています。神は「ご自分のあわれみによって…‥救ってくださいました」(テトス3:5)とあるように、私たちにそのあわれみをキリストによって示されました。(エペソ2:4,5)
2,あわれみ深い者
 生まれながらの私たちは、聖書が語るあわれみを持っていません。神のあわれみによって救われ、自分の罪が赦される喜びを体験した人の心に宿るのです。
3,あわれみを受ける
 あわれんだから、憐れまれるという交換条件ではありません。神のあわれみと恵み深さを深く体験することです。(詩116:5)あわれみ深い者は、神の憐みをすでに受けているし、これからもさらに受けることになります。

2024年6月2日

 

「義に飢え渇く者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,義とは
道徳的正しさや、社会的正義を超えるもので、「神との正しい関係」で、罪の赦しと罪からの解放を意味します。罪は私たちを神から引き離し、正しい関係を破壊するからです。
2,義に飢え渇くとは
神との関係は、聖なる神と調和した性質が不可欠です。清い心を渇望し、神とのわだかまりを解消し、信頼と愛の関係を切望することです。このことを飢え渇くように求める人が幸いです。(ぺニエルにおけるヤコブ参照)
3,満ち足りるという福音
飢え渇きこそ、祝福への始まりです。また、祝福を得る最大の秘訣です。切実にこの義を求める者は、必ず与えられるのです。


2024年5月

2024年5月26日

 

「柔和な者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,文脈の中で、柔和の理解
「柔和」は、心の貧しい者、悲しむ者の次に置かれています。神の前の謙遜は、罪の悔い改めの悲しみをもたらし、神からの慰めを得た後に、「柔和」が語られており、それは
・神の恵みへの信頼
・神の権威を認め御心に従う
・神の恵みによって生きる、・・・性質・態度といえます。
2,柔和な人の模範
 旧約ではモーセ(民数記12:3)新約では主イエス(マタイ11:29)です。柔和な人とは、柔弱な者でなく、静かで動じない強さを持った人です。
3,柔和の源泉と祝福
 この資質は、生まれながらの性質ではなく、救いに与った人に注がれる聖霊による実(御霊の実ガラテヤ5:22,23)です。私たちは神の愛を受け、柔和となる時、キリストと共に、共同相続人として地を受け継ぐのです。(ローマ8:17)

2024年5月19日

 

「ペンテコステでの変化」

聖書箇所:使徒2章37-42節,エレミヤ31章31-34節

ペンテコステの日に起こった驚くべき変化に心を留めましょう。
1,この日に何が起こったのか
主の弟子たちは、聖霊に満たされ神を褒めたたえ、力強くキリストを宣べ伝える証人となりました。(使徒1:8)
その日、多くの人々が罪を悔い改め三千人がバプテスマを受け、主の弟子となり、初代教会が誕生しました。
2,古い契約から新しい契約への変化
旧約時代から新約時代への転換点となりました。シナイ契約による律法の時代から、キリストによる恵みの時代(聖霊時代)への変化です。聖霊が信じる者の心に住まわれ、神の律法を心の中に書き記してくださり、私たちは、神と共に生きる者となるのです。(エレミヤ31:33、34)それは、モーセ律法によってではなく、キリストの新しい戒めに生きることです。(ヨハネ13:34)
3,恵みの時代に生きる私たち
「神の恵みを無駄に受けないようにしてください」(Ⅱコリント6:1,2)今日もし御声を聞くならあなたがたの心を頑なにしてはならない」(詩95:7,8)聖霊が豊かに注がれる時代に生きる私たちに求められていることは、信仰(ルカ11:13)と服従(使徒5:32)であることを覚えましょう。

2024年5月12日

 

「悲しむ者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

主イエスがお語りになった「悲しみ」とは、この世の一般的な悲しみー死別、災難、病気、人間関係上のトラブルなど指すのでなく、神の御前における悲しみです。
1,心の貧しい人が経験する(ローマ7:24)
プライドを捨て、神の臨在の前に出る時、罪人である自己を認識し、悲しむようになります。
2,神のみこころに添った悲しみ(Ⅱコリント7:10)
これは絶望と死に追いやる後悔でなく、私たちを神に対する悔い改めに導く悲しみです。
3,本物の信仰に導く悲しみ(詩6:8,9)
神の前に砕かれて、罪を言い表す時、神はその罪の赦しとすべての不義からのきよめをなしてくださいます。
4、悲しむ者への神の慰め(イザヤ61:3)
自分の罪を悲しむ者は、真の悔い改めに導かれ、真の慰めが神から与えられるのです。(コロサイ1:13,14)

2024年5月5日

 

「心の貧しい者は幸いです」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,心の貧しい者
それは「神の前での謙遜」を意味しています。物質的な貧しさ、心の狭さ、卑しさを意味していません。
・神の臨在の前で何者でもない自分を知る(詩篇8:4)
・神の恵みなしでは、罪の塊に過ぎない自己を認識
(ローマ7:24、イザヤ6:5、ルカ5:8)
・自分の義に信頼せず、ただ神にのみ信頼を置く    
(Ⅱコリント1:8参照)
・高慢とは正反対の性質を持った人(ヤコブ4:6)
2,天の御国はその人たちのもの
天の御国(天国)とは、神の全き支配を意味します。
暗やみの力から救い出され(コロサイ1:13)義と平和と喜びが心に満ち(ローマ14:17)、永遠のいのちが賜物として与えられ、天国の希望に生きるのです。(ローマ6:23) 


2024年4月

2024年4月28日

 

「本当に幸せな人とは」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

主イエスが、山上の説教の冒頭で「~幸いです」と語られ、通常「八福」といわれる幸福を示されました。人となられた神、私たちの創造者である御方の「幸福論」です。
1,本当の幸せは神との関係にあること
聖書は、人が罪を犯し神と断絶したところに不幸が始まったことを示し、その救済の物語であると言えます。人が神と関係を再修復するところに本当の幸せがあるのです。
2,本当の幸せは「八福」に示されている
①天の御国が与えられる②慰められる③地を受け継ぐ④満ち足りる⑤あわれみを受ける⑥神を見る⑦神の子どもと呼ばれる⑧天における大いなる報いが与えられる
3,本当の幸せは、神に祝福されること
「八福」に描写されている幸いは、イエス・キリストによって与えられる神の祝福です。(エペソ1:3)悔い改めて福音を信じる(マルコ1:15)人に与えられる神の救いなのです。あなたは、本当に幸せな人となるよう召されているのです。

2024年4月21日

 

「その群衆を見て、イエスは山に」

聖書箇所:マタイ5章1-12節

1,山上の説教の背景
ローマ帝国の圧政、重税に苦しみ、「メシア」を待望するユダヤの民衆が背景にあります。霊的生命を失い厳格な形式宗教となったユダヤ教は、人々の魂の自由を奪い、重荷となり、悩みの解決を与えません。主イエスの登場は、人々の必要に答える大きな期待と希望となりました。そのため人々は続々と主の御許に集まってきました。その様子を見て、主イエスは山に登り語られたのです。
2,山上の説教はだれに語られたか
あくまでも弟子たちに直接語られたものです。救いに与り、恵みを受けなければ、実行不可能な内容です。私たちは、救いに与った後、いかにあるべきか、またいかに生きるべきかを知り、主の恵みにより頼む者となります。しかし、同時に弟子たちの周囲に座る群衆のことも心にかけ、救いに与ることを願いつつ、語られました。
3,山上の説教の権威
主イエスの御口から出る言葉は、命があり,無から有を呼び起こし、暗黒には光を、汚れにはきよめを与える力なのです。(マタイ8章参照)この説教は、私たちに本当の宗教の本質を示すのです。

2024年4月14日

 

「主イエスよ、来てください」

聖書箇所:ヨハネ黙示録22章6-21節

1,キリスト再臨と黙示録
主の再臨の約束は、聖書のみ言葉に基づいて示されています。特にこの預言の書(黙示録)には、サタンの完全な敗北と滅亡が記されているため、サタンは人々が読まないように、そして信じないように必死に働いています。この霊の戦いに打ち勝ちこの書を堅く守る者に、神は祝福を約束されています。(1:3)私たちはこの預言の書を封じることなく、よく読み、すべての人に宣べ伝えることが大切です。そして、付け加えたり取り除いたりしてこの書を改ざんしてはならないのです。(18,19)
2,キリストの再臨と審判
 再臨は信者と不信者を二分します。天の御国(新天新地と新しいエルサレム)に入国できるか否かが決まるのです。
3,キリストの再臨と私たちの対応(17,20)
 聖霊と教会は「来てください」といいますが、私たちも共に「来てください」と心から主のおいでを待ち望むことが求められています。同時に救いに与る方が一人でも多く起こされるよう祈り求め、宣教に励むことが大切です(17)この二つの面を同時に持ちつつ、「マラナ・タ」(Ⅰコリント16:22)と祈りつつ告白するお互いとなりましょう。
「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン主イエスよ、来てください。(20)

2024年4月7日

 

「新しいエルサレムの中には」

聖書箇所:ヨハネ黙示録22章1-5節

1,新しいエルサレムの内側の景色(Ⅰ~2節)
水晶のように輝く命の水の川、純金の都の大通り、川の両岸に林立し12の実をならせるいのちの木、それは驚きと喜び、満足と平安の世界です。
2,七つの完全な世界(3~5節)
①完全な回復…呪われるものは何もない(3節)
②完全な統治…神と子羊の御座が都の中に(3節)
③完全な奉仕(礼拝)…神の僕たちは神に仕え(3節)
④完全な栄化…御顔を仰ぎ見る(4節)
⑤完全な所属…額には神の御名が…(4節)
⑥完全な臨在…神である主が彼らを照らされる(5節)
⑦完全な高揚…世々限りなく王として治める(5節)
私たちは、主イエス様によって、永遠のいのちが与えられて、このような世界に導かれているのです。
「感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神の喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。」(へブル12章28節)


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